写真で綴る地中海の旅 journey

2019.01.30

ベイヴァー城(マヨルカ島)

地中海の〈城〉13:ベイヴァー城/伊藤 喜彦

ベイヴァー城(Castell de Bellver)は、マヨルカ島の中心都市パルマ旧市街から3kmほど西に位置する城郭である。現地の日本語版パンフレットには「ベルベール」と訳されているが、マヨルカ島民は「ベイヴァー」と発音するようである。現在のパルマ市内からは、林立するヨットの帆柱とリゾートマンションの向こう側、こんもりとした緑豊かな丘の上にそびえ立つ塔が見える。塔を目印に海抜112.6mの丘上に立つベイヴァー城まで登り、振り返ってみれば、パルマ湾、湾に臨む大聖堂、その隣の「ラ・アルムダイナ」宮殿、パルマの街並みを一望する絶景が広がる。
ベイヴァー城は1300年から1311年の間に建造された。建設を命じたのはマヨルカ王ジャウマ2世(1243-1311)である。ジャウマ2世は、マヨルカ島(1229年征服)ほかムワッヒド朝の領土をつぎつぎと攻略したアラゴン連合王国の「征服王」ジャウマ1世の息子の一人である。1276年、偉大な父親の遺志によって新しくつくられたマヨルカ王国を継承したジャウマ2世であったが、すぐさま兄のアラゴン王ペラ3世から臣従を強要された。ジャウマ2世がベイヴァー城の建造を命じた主たる動機は、成立当初から実の兄にその主権を脅かされていた王国の防衛にあったことは容易に想像できる。しかし、海を望むテラスとギャラリーを備えた市内のラ・アルムダイナ宮と同様、ベイヴァー城は単なる軍事施設以上に、見事な景色と心地よい滞在が楽しめる離宮としての役割も期待されていた。簡素かつ端正なゴシック様式の細部もさることながら、ベイヴァー城最大の見どころは、同心円を基本としたその幾何学的構成であろう。下層は半円アーチ、上層は尖頭アーチで囲われた中庭(直径24m弱)と外周壁は、ともにほぼ正確な円弧を描き、外周壁の東西南北には塔が配されている。このうちキープとなる北塔だけが外周壁から7mほど離れて立ち、屋上から橋でアクセスするかたちとなっている。壕を隔てて城本体とキープを囲うラヴリンは16世紀半ばに整備されたものである。中庭側ファサード(写真)は、21という不思議な数で分割され、上層の42のランセットは、大枠を形成する尖頭アーチが半分ずつ重なってつくり出されているようにも見える。円形の中庭を持つスペイン建築といえば、アルハンブラ宮殿にあるルネサンス建築の傑作「カール5世宮」が想起されるが、ベイヴァー城はこれより2世紀以上早い。バレアレス諸島やイベリア半島に類例は見当たらず、南イタリアのフェデリコ2世によるカステル・デル・モンテの幾何学的構成との類似性が指摘されるが、具体的な関連は不明である。
14世紀半ばにマヨルカ王国はアラゴン連合王国に併合され、ベイヴァー城も王宮としての役目を終えた。その後、ベイヴァー城はしばしば牢獄として使われるようになる。おそらくもっとも著名な囚人は、1801年から08年まで収監されていたスペインを代表する啓蒙主義者G・M・ホベリャノスで、詳細な建築的描写を含むメモワール『ベイヴァー城の思い出』が没後に出版されている。

*地中海学会月報 409号より