写真で綴る地中海の旅 journey

2019.01.30

シルヴェス城(ポルトガル)

地中海の〈城〉15:ポルトガルにあるムーア時代の名残り/マウロ・ネーヴェス

ポルトガルにはムーア人がイベリア半島を統治した時代(アル=アンダルス)の城が幾つか残っている。リスボンにあるサン・ジョルジェ城もその一つだが、今回はポルトガル南部のシルヴェス城を取り上げたい。

シルヴェスは、ポルトガル初の王朝であるブルゴーニュ王朝がムワッヒド朝から12世紀半ばにレコンキスタにより奪還した当時、アルガルヴェ(アラビア語で西を意味するアル・ガルブに由来する名前)地方の最も大きな都市であった。
この地域には、旧石器時代から人間が住んでいたとされ、当時の遺跡も残っている。ローマ時代には、写真(左上)に写っているアラーデ川が内陸のアルガルヴェと地中海をつなぐ交通の要衝になり、シルヴェスが建設されたと言われている。シルヴェスにはローマ時代の小さな橋もあり、筆者が泊まったホテルの名前もポンテ・ロマーナ(「ローマの橋」の意)であった。写真(右)は、そのテラスから撮ったシルヴェス城である。

716年のムーア人侵入後、ウマイヤ朝の都市として栄え始めたこの城が最も輝しい時代を迎えるのは10世紀以降である。10世紀、シルヴェスはアル=アンダルスのアル・ガルブ地方の一都市となり、さらに1027年にはタイファ(イスラーム教の君主小国)となった。

シルヴェス城は元々小さな要塞に過ぎなかったが、ムーア人により大幅に改修され、現在の形になった。シルヴェス城は、ポルトガルに現存するアル=アンダルス時代の城のなかで、最も荘厳な城である。

1156年にムワッヒド朝の傘下に置かれたシルヴェスは、イベリア半島西部におけるレコンキスタの戦いの中心地となった。しかしレコンキスタにより1189年に一旦ポルトガル領になったものの、1242年までコルドバ・タイファの治世下におかれた。同年にシルヴェスはようやくポルトガルの一部になると、シルヴェスにあったモスクは大聖堂に改修され、城は放棄された。

1755年、シルヴェス城はリスボン大地震により倒壊した。しかしその一部が再建されたのは1835年、歴史的な価値のある城として認可されたのは1910年、現在の形に修復され始めたのは1985年以降である。

現在のシルヴェスはとても小さな町に過ぎない。しかしアルガルヴェの中心都市ファロよりも美しく、静かに過ごせる町である。そして今尚アルガルヴェの内陸と、アルガルヴェの海沿いのリゾート地やリスボンをつなぐ交易の中心地になっている。

私は2003年12月30日に訪れた際、バスでリスボンからシルヴェスへ向かい、翌日にシルヴェスからアルガルヴェ線の電車でラゴスへ向かった。シルヴェスでは城をゆっくり観光するため、一泊した。朝、日中、夜と一日中町を見渡せる城で、ムーア人が統治した時代のポルトガルに思いを馳せながら過ごす時間は至福の時であった。観光客が溢れているアルガルヴェの海岸と比べて時間がゆっくりと流れ、人も少ないシルヴェスで、アルガルヴェの旅に一息入れることをぜひお勧めしたい。

*地中海学会月報 412号より