写真で綴る地中海の旅

JOURNEY
地中海の<城>

ケリビア城塞(チュニジア)

地中海の〈城〉17:ケリビア城塞、ラーヤそして真道さん/深見 奈緒子

チュニジアのボン岬東側、小高い丘を王冠のような石造城塞が取り巻く(表紙・右上)。ケリビアはフェニキアにさかのぼる古い港町で、ビザンツ時代6世紀に矩形小砦がたち(右中)、アグラブ朝(800~909年)にはリバート(武装イスラーム修道院)に用い、ズィール朝(974~1160年)に現代の城壁へと拡張された。北アフリカのイスラーム化以後、8世紀末からチュニジアの海岸沿いに軍事要塞としていくつかのリバートが建設された。アグラブ朝は地中海をまたいでシチリアに支配を広げ、シチリアはケリビアの目と鼻の先で、地中海を見晴るかす城である。

ここを訪れたのは、2012年8月、真道洋子さんとチュニジア調査の時だ。地中海世界の中世のイスラーム遺構をめぐる中、「ケリビアはラーヤ遺跡との比較で重要なのよ」と彼女は力説した。シナイ半島のラーヤ遺跡は、セント・カテリーナ修道院の巡礼港近くのビザンツ時代からの城塞だ。ケリビアの小砦の東に正方形平面の厚い壁に4本の柱を立てた遺構(右下)をみて、「やっぱり、ラーヤのモスクとそっくり」と彼女は納得していた。

比較してみると、ケリビアではビザンツ時代の小砦は30m四方で四隅に矩形ボルジュをもち(右中)、拡張後120m四方の不整矩形とし、周囲8つの矩形ボルジュで守られる(右上)。一方ラーヤは一辺が80mあまりの正方形で、辺に3つ計8つの矩形ボルジュを均等に配置する。双方ともに、古代ローマ時代のカストルム(前線防衛の矩形城塞)に由来する。なお、古代地中海では矩形ボルジュが主流だけれどイスラーム普及以後には東方起源ともいわれる円形ボルジュも使われるようになり、チュニジアでもアグラブ朝の新首都ラッカダや幾つかのリバットでは円形ボルジュを用い始めていた。

彼女はケリビアとラーヤをどう繋げたかったのだろう。ケリビアが属する地中海世界とラーヤが属するインド洋世界は文化圏が異なる。それを超えるモノの共通性から、彼女は何を導き出したかったのだろうか。

真道洋子さんは日本を代表する世界的なイスラーム・ガラス研究者で、近頃はガラスを超え、物質文化を提唱し、モノの交流史に勤しんでいた。彼女の基盤は、先達としての川床先生が率いたフスタート(カイロの前身都市)、シナイ半島のラーヤとエル・トゥール(イスラーム時代の紅海港市)の発掘現場にある。2011年のエジプト革命以後は、中央アジアのパイケンド(ブハーラ近郊)やヴェトナムのチャム島での考古発掘に参加し、来年からはニーシャープール(イランのホラサーン地方)やマディーナット・ザフラー(コルドバ近郊)へと発掘を広げることを、誇らしげに話していた。2018年9月13日、世界ガラス学会に出張したイスタンブルで、彼女は突如、帰らぬ人となった。これからという時に、私たちに沢山の宿題を残して、・・・喪失感が募る。

ケリビア城塞を訪れた翌日、あんまり海が透き通りあたかもガラスのようで、思わず二人で着衣水泳した。美しいモノ、楽しい事が好きな人だった。城塞を訪ねた夜には、地元の漁師たちが集まる酒場で食事をした。海辺のテラスで、私がワインでおぼつかなくなるころ、真道さんはお酒を嗜まないので、海に映る月の写真を撮っていた。彼女がラーヤを思いながら撮影したケリビア城塞、そして穏やかな地中海に映る月光のゆらめきを、彼女を偲び表紙写真とした。

*地中海学会月報 414号より