写真で綴る地中海の旅 journey

2019.04.17

ロアーレ城とコカ城(スペイン)

地中海の〈城〉18:ロアーレ城とコカ城/鳥居 徳敏

現在に直結するスペインはカトリック両王のもとで誕生(1479)した。カスティーリャ王国イサベル女王とアラゴン連合王国フェルナンド王との婚姻による両王国の政治的統合であり、後者の実質的実権はバルセロナを中心とするカタルーニャにあった。一説によると、カタルーニャの語源は、カスティーリャ同様、「城」(前者Castell(カステイ);後者Castillo(カスティーリョ)にあり、両地域の城の多さに由来したという。「城」本来の意味の「軍事的構造物」址はスペイン全土で5,422カ所登録され、他国よりも圧倒的に多いとされる。これらの城はフランスの居城(シャトー)とは相違し、純軍事施設であり、最後の砦の「天守塔」にわずかな居住空間を持つものが大半である。スペインは中世の城址の国であり、旅で出くわすのがこれらの城なのだ。

周知のように、711〜1492年の中世イベリア半島はイスラーム教圏とキリスト教圏とが相見える地域であり、「再征服(レコンキスタ)」の時代であった。城は両勢力の攻防する前線に建設され、この境界線は時代とともに南下したため、半島のほぼ全域に要塞が築かれた。しかも、多い時にはイスラーム教圏で23の小王国(タイファス)、キリスト教圏で5王国が群雄割拠し、異教徒のみならず、同教徒同士の抗争も絶えず、城の建設は不可欠であった。また、半島の半分以上を支配圏に治めたカスティーリャ王国は14世紀半ばから王位継承に端を発した内戦に見舞われ、貴族は恩賞により勢力を伸ばし、贅を尽くした自らの居城を建設し権力を誇った。こうした歴史的経緯から、北部「ロアーレ城」(写真上)のような純キリスト教建築や南部アルハンブラ(赤い城)のような純イスラーム建築、および中央部「コカ城」(写真下)のような両建築混合のムデハル建築などが現存し、それぞれが時代とともに変遷した。ロアーレ城もコカ城も二重の城壁に囲まれ、同じタイプの城に見える。しかし、前者が11〜12世紀ロマネスクに対し、後者は15世紀ムデハルで、構成も相違する。

ナバラ王サンチョ3世(1004〜35)により着工された切石積みのロアーレ城はピレネー麓の眺望の利く当時の前線に位置し、不整形な本城は天守塔などの軍事施設と純ロマネスクの修道院施設で構成され、創建時の外側村落を外郭城壁で防御した。中世スペインの地形を生かした聖俗混交の典型的な城塞である。 大司教アロンソ・デ・フォンセカ(1473年没)の権勢を誇示するコカ城では、ほぼ正方形の本城の周りをイスラーム由来の外郭城壁が走り、その上の歩哨・守備路を守る。近世出現の火器に対処し、城壁は下部で斜壁となり、多数の銃眼を持つ。幅広の深堀が四周を取り囲むため、全体が地中から浮上したような印象を与える。正方形の天守塔が要塞を象徴するものの、コンクリート躯体のレンガ積み仕上げ、特に上部の多数の小塔、狭間胸壁、ダミーの突出狭間(石落とし)の繊細なレンガ積みは極めて装飾的であり、本城の正方形パティオを取り囲むコリントとコンポジット式大理石円柱の二層回廊諸室もイスラーム起源の多彩色の石膏細工やタイルで飾られていた。コカ城はムデハル建築の傑作であり、戦国時代を終えた中世末の大貴族の居城を代表する。

*地中海学会月報 415号より