地中海学会月報

MONTHLY BULLETIN

学会からのお知らせ

ホームページリニューアル

本学会のホームページ(http://www.collegium-mediterr.org)をリニューアルしました。トップ・ページは國學院大學で開催した第38回大会において出席会員の投票で選ばれました。なお,本サイトは「牟田口義郎・片倉もとこ地中海学基金」によって運営されています。

会費納入のお願い

今年度会費を未納の方には振込用紙を本号に同封してお送りします。至急お振込み下さいますようお願いします。
ご不明のある方はお手数ですが,事務局までご連絡下さい。振込時の控えをもって領収証に代えさせていただいております。学会発行の領収証をご希望の方は,事務局へお申し出下さい。

会 費:正会員 1万3千円/ 学生会員 6千円
振込先:口座名「地中海学会」
郵便振替 00160-0-77515
みずほ銀行九段支店 普通 957742
三井住友銀行麹町支店 普通 216313

会費口座引落について

会費の口座引落にご協力をお願いします(2015年度から適用します)。
会費口座引落:1999年度より会員各自の金融機関より「口座引落」を実施しております。今年度手続きをされていない方,今年度(2014年度)入会された方には「口座振替依頼書」を月報本号(374号)に同封してお送り致します。
会員の方々と事務局にとって下記のメリットがあります。会員皆様のご理解を賜り「口座引落」にご協力をお願い申し上げます。なお,個人情報が外部に漏れないようにするため,会費請求データは学会事務局で作成します。
会員のメリット等
振込みのために金融機関へ出向く必要がない。
毎回の振込み手数料が不要。
通帳等に記録が残る。
事務局の会費納入促進・請求事務の軽減化。

「口座振替依頼書」の提出期限:
2015年2月20日(金)(期限厳守をお願いします)
口座引落し日:2015年4月23日(木)
会員番号:「口座振替依頼書」の「会員番号」とは今回お送りした封筒の宛名右下に記載されている数字です。

なお3枚目(黒)は,会員ご本人の控えとなっています。事務局へは,1枚目と2枚目(緑,青)をお送り下さい。

表紙説明 地中海世界の〈道具〉1
おまる/佐藤 昇

こちらの道具,いったい何なのか,お判りになっただろうか。右手奥の小さなイラストに気づいた方も多いかもしれない。そう,幼児用の椅子である。アテネの古代アゴラ博物館で見ることができる。黒像式の図像が施され,紀元前6世紀前半のものとされている。

もしかすると,「おまる」と言ってもいいのかもしれない。座面の真ん中に,都合良く,手頃な穴がぽかりと空いている。この椅子を対象に,ある研究者が興味深い「実験考古学」を行なっている。おむつをした乳児と裸の乳児,それぞれ,この椅子に座るとどうなるのか,比較してみたのだ。写真を見ると,前者は顔をしかめ,今にも泣き出しそうだというのに,後者はリラックスしていて,ご満悦の様子。なるほど,基本的に裸で使用するものなのかもしれない。当該の研究者は,中空になっている台座部分の内側に,「受け壺」がセットされたのだと推測している。少なくとも,アリストファネスなどの古典文学には,大人が用いる便壺に言及があり,陶器画にもそれらしきものが確認されている。おまるの受け壺だってあっておかしくはなさそうだ。

しかし,仮にこの「実験考古学」をひとまず受け入れるとして,それでもなお気になることがある。たとえば,赤ん坊がこの椅子あるいは「おまる」に座っている様子が,前5世紀中頃の陶器画にいくつか確認されている。しかし,これらを見ても,とても排便をしているようには見えない。いや,見えないだけで,していないとは断言できないのだが,しかし,陶器画の中には,着衣と思われるものまで存在している。もしも遺物が図像と同じものだとするならば,少なくともこの道具は「その時」だけ使用するものとは言えなくなる。

他にも,たとえば,座面中央の穴が,幼児用としても些か小さ過ぎるのではないかと,心配になってくる。幼児がじっとしていないと命中しないのではないかと考えるのは,心配し過ぎだろうか。また,男児が小便をするときには,もちろん座面中央の小振りな穴だけでは済まないだろう。出土例が偶々,女児用だった可能性も否定できない。あるいは男児は,足を出す大きな穴から放尿したのかもしれない。ただ,先ほど言及した着衣の図像は,男児である可能性が高いとされ,足を出す穴が二つに分かれているという。そうすると,やはり男児が用を足すには,どうも不便に思える。そんな訳で,私としてはとりあえず,排便を主目的とした「おまる」と言うよりも,幼児用の椅子としておいた方が無難ではないかと考えている。

「おまる」か,単なる椅子か。いずれにしても,この椅子は,古代ギリシアで豊かに育まれた育児文化の一端を垣間見せている(背後にあった乳幼児死亡率の高さや嬰児遺棄の問題も忘れてはいけないけれど)。この椅子に座る赤ん坊が陶器に描かれた前5世紀半ばは,家庭や女性に関する図像が好まれるようになった時代とされている。とすると,この遺物は,そうした感性が広まるのに1世紀以上先立って,実際に家庭内の育児文化が豊かになっていたことを証明しているのかもしれない。

地中海学会大会 記念講演要旨
神々をあがめる人々

──古代人の心性を掘り起こす──

本村 凌二

西洋古典の著作に親しむようになった学生のころから,どうして古代人にはあれほど神々の世界が身近なのだろうかという疑問がありました。しかも,古い時代にさかのぼればさかのぼるほど,神々がまるで隣でささやきかけるかのように描かれているのです。自然や社会の出来事を合理的に観察し思考することのできない未開な人々だから,想像力をたくましくして神話を作り上げたと説明されてきました。私にはどこか納得できない説明でした。

最古のものとして,詩聖ホメロスの叙事詩『イリアス』が残されています。これはトロイア戦争の物語であり,19世紀の初めごろまでは,この物語はまったくのフィクションであり,いわば神話的な作り話として親しまれてきました。

たとえば,ここでは神々が人間にささやきかける場面が少なくありません。怒り狂うアキレウスをなぐさめるのも神,美貌の王妃ヘレネの誘拐を機に戦争を起こしたのも神,そのヘレネに望郷の念をかきたてるのも神なのです。

戦利品の愛人を奪ったミュケナイ王アガメムノンはアキレウスに話を蒸し返されて責められたとき,こんなふうに言い返します。

 だが,その責めはわしにではなく,ゼウス神ならびに運命の女神モイラ,そして闇を行く女神エリニュスにある。その方々が集会の場でわしの胸中に無残な迷いを打ちこまれたのであった……このわしがアキレウスの受けた恩賞(の女)を奪い取ったあの日のことだが。だがわしになにができたであろう。神というものはどのようなことでも仕遂げられるのだからな。
(松平千秋訳『イリアス』上下巻,岩波文庫,19,86-90)

 この弁解を聞いた者は,アガメムノンの言い逃れにすぎないと反論するわけでもありません。それどころか鵜呑みに信じているかのようです。アキレウスもまた自分の神々には素直であったからです。

このような場面は神話でしかなく作り話にすぎない,と一笑に付すのはかんたんです。あるいは幻視や幻聴にふりまわされているだけだと軽んじるのもたやすいことです。しかし,そこに生きていた人々には,幻視や幻聴とは感じられなかったことも確かであったのではないでしょうか。かりに幻視や幻聴であったにしても,古代の人々には現実に起こったことであり肌身に感じることでした。そうであるとすれば,それをたんなる作り話として片づけるよりも,「神々がささやきかける」心の世界があったのではないだろうか,と考えることもできます。それは心の在り方を探究する心性史の問題であり,今後の重要な課題でもあります。

これを仮に「神々のささやく世界」として思い描くときに,人間の精神を俎上にあげる心理学の側から注目すべき見解が出されました。

 古代人やその文明の背景には現代人とまったく異なる精神構造があり,じつは古代人は私たちのような意識を持たず,自らの行動に責任があったわけではなく,それゆえ,何千年という長大な期間になされたいかなる行動も称讃や非難に値しないこと,そのかわり,個々の人間の神経系には神のような部分があり,彼らは奴隷のようにその命令に言いなりだったこと,その命令は一つあるいは複数の声の形をとり,その声はまさに今日でいう意志にあたり,命令の内容に力を与え,また念入りに設定された序列によって他者の幻の声と関係づけられていたことだ。
(J. ジェインズ『神々の沈黙』紀伊国屋書店,2005年)

 一介の歴史家にはこの見解の正否を判断する能力も資格もありませんが,これを前提にすれば,古代の物語に登場する神々の姿が生き生きと見えることは否めません。

さらにまた,これらの神々の声が聞こえなくなっていく時代(前1千年紀前半)から,神託が現れたり,預言者が登場したりしていることも興味深いと思います。それとともに,神々ではなく唯一神をあがめる人々が目につくようになるのも無視できないことではないでしょうか。

周知のように,19世紀のシュリーマンは,考古学の手続き上はともかく,トロイアの世界を実体として掘り起こしました。21世紀には,トロイアの心性の世界も掘り起こされる予感がします。その期待を実証史学にはなじまないと切り捨てるのはもったいない気がします。

地中海学会大会 地中海トーキング要旨
カミ・酒・ヒト
パネリスト:藤崎衛/古山正人/茂木貞純/飯塚正人(司会兼任)

第38回地中海学会大会は,「神道精神」を建学の精神とする國學院大學にて開催され,記念講演,トーキング,シンポジウムといった恒例の大会プログラムも,神道との比較を念頭に置きつつ,地中海世界の諸宗教を取り上げる形で企画された。このうち初日のトーキングについては,大会準備委員会が事後に開かれる懇親会も意識して(?),酒に焦点を当てた「カミ・酒・ヒト」というテーマを考案し,パネリストの人選も行って,「カミとヒトを結ぶ酒,酒の禁忌や効能など摩訶不思議なカミとヒトの物語」を期待した由であったが,果たしてこの日のトークが摩訶不思議なものになったかどうかは定かでない。ただ,当初から懸念されたとおり,パネリスト4名が報告した四つの宗教におけるカミ・酒・ヒトのありようはあまりにも違いが大きく,トーキングの主眼は必然的に,諸宗教に共通する酒の機能云々よりは,個々の宗教世界に特有の酒の位置付けの解明に向けられた。

トーキングの口火を切ったのは大会準備委員でもある古山正人氏(國學院大學)で,献酒が古代ギリシアにおいて神々とヒトをつなぐものとして重要であったことを,供犠を中心に明らかにした。もっとも氏によれば,ホメロスの「オデュセイア」371-476に描かれた典型的な供犠やプルタルコスの言葉から明らかなように,古代ギリシアの供犠の核心は神の顕現と臨在にあり,動物の屠りや食事,酒にあったわけではない。またワインの由来についても,酒の神とされるディオニュソスから製法を学んだイカリオスが牧人たちにふるまったところ,毒を飲ませたと勘違いされて殺されてしまうなど,結構暗い神話があり,古代ギリシアにおけるカミ・酒・ヒトの関係は一筋縄ではいかないものとされた。

これを受けて,同じ多神教の神道について考察した茂木貞純氏(國學院大學)はまず,「御神酒あがらぬ神はなし」と言われるほど御神酒が神祭りに欠かせないこと,「御食,神酒」を中心に海山野の幸を神々に供する伝統には少なくとも千年以上の歴史があり,明治8年に「神社祭式」が公定されるまでは御神酒も祭に合わせて神社で醸造され,今なお甘酒(一夜酒)は多くの神社で造られて神前に供されていること,酒を含め神前に供えられた神饌はお下がりとして一同で飲食され,祭に酒宴は不可欠なことなどを指摘し,古来酒造の神として信仰されてきた大物主神を祀る奈良県の大神神社や,酒造家の信仰の厚い京都の松尾大社についても報告した。神々への献酒といい,酒の神の存在といい,共食・酒宴といい,神道には古代ギリシアと通ずるところがあり,今後さらに比較を進めていけば,これまでとはやや違った古代地中海像を描き出すことができるかもしれない。

文脈をまったく異にするとはいえ,神道との共通点は一神教であるキリスト教にも見出すことができる。キリスト教では,パンと葡萄酒を自らの体,血であるとしたイエスの言葉に基づき,「神の力によってパンは〔キリストの〕体に,葡萄酒は血に全実体変化する」という教義が13世紀の第4ラテラン公会議などで確立されたが,豊富な史料をもとに西欧中世のカミ・酒・ヒトを扱った藤崎衛氏(東京大学)によれば,葡萄栽培やワイン醸造は定住・共同生活・自給自足を旨とする修道院のライフスタイルに適合していたために,多くの修道会の代表的な産業となった。かつて日本の神社が祭祀に用いる御神酒を自ら醸造していたように,中世のキリスト教では,少量の水を加えてミサ聖祭に用いる葡萄酒を修道院が醸造していたのである。加えて教皇庁には,教皇と家人集団のためにワインを購入・試飲する酒蔵監督官やそれを補佐する酒蔵付書記といった宮中職も置かれており,葡萄酒は宗教的日常に欠かせない飲物であったとされた。

最後に,司会兼任の飯塚正人(東京外国語大学)は,聖典クルアーンが葡萄酒を「忌み嫌われる悪魔の業」と呼び,飲酒に対する笞打ち刑まで定めているイスラームのケースを取り上げ,神が飲酒を禁じたのはヒトを酔わすがゆえであったこと,そのぶん天国では酔わない酒が飲めるとされていることなどを紹介し,にもかかわらず現世で飲まずにはいられない飲兵衛ムスリムの主張と生態について報告した。茂木氏が『古事記』の八俣の大蛇退治や『日本書紀』の天孫降臨に関わる記述をもとに指摘したような「酒肴をもってもてなす文化」はイスラームでは可とされないものの,『魏志倭人伝』で「人性酒を嗜む」とされた日本人の酒好きや,『万葉集』の「酒を讃むる歌」で「酒飲まぬ人をよく見れば猿にかも似る」と詠んだ大伴旅人に通ずる飲兵衛はイスラーム世界にも確実に存在しており,イスラームと他宗教の共通点をあえて探すとするなら,至る所に飲兵衛はいるという「真理」に辿りつくのだろう。ならば飲兵衛たる者,トーキングの後は年に一度の懇親会でただ杯を傾けるのみである。(飯塚正人)

地中海学会大会 シンポジウム要旨
聖なるものと聖なる場
パネリスト:加瀬直弥/真道洋子/水野千依/伊藤重剛(司会兼任)

國學院大學で行なわれた2014年の第38回地中海学会大会シンポジウムは,「聖なるものと聖なる場」というテーマで行なった。日本神道の研究では中心的な役割を果たしている國學院大學において,このようなシンポジウムを開催することは,非常に有意義であった。内容としては,神ないしカミとして超越した存在をこの世の中で示すために,「もの」そして「場所」が介在するが,その対象物,そして場所ないし立地について議論を行なった。パネリストとして加瀬直弥氏(國學院大學),水野千依氏(京都造形芸術大学),真道洋子氏(早稲田大学),そして伊藤重剛(熊本大学)がパネリスト兼司会として参加した。それぞれ30分の基調講演を行ない,その後休憩を挟んで約1時間,会場からの発言も含め討論を行なった。

最初に加瀬氏が,神道学研究の宗教学者として,神道における聖なる場について,発表を行なった。神の存在を物で示すことは,鏡・石・水などで「形」が表されることもあるが,形がない場合もあり,必要不可欠ではなかった。神自体を反映するものとしては,鏡,剣,勾玉など三種の神器などがあるが,物の種類は限定された。また,神にたてまつるための物の種類も限定される。神まつりの場は,祈雨,暴風水害,海上安全などの願意に対応した自然地形を求めている。その場所は,神と人との一定の距離,例えば伊勢大神宮は「浪の音聞かざる国,風の音聞かざる国,弓・矢・鞆の音聞かざる国」『皇太神宮儀式帳』)とあるように,静穏を保ち俗事を避ける距離を保つことが必要であった。

次に伊藤が古代ギリシア・ローマの神域を建築史研究の立場から,神域の立地論および計画論から神域の聖性について述べた。ギリシアの初期の神域は自然地形に従った建物の配置で,選ばれる場所はアクロポリスのような高く聳え立つ場所,あるいはデルフィのような切り立った崖を背景とする神々しい場所が多かったが,サモスやオリンピアの神域のように,全くの平地の灌木の林に設けられるものもあった。しかしクラシック時代後期からヘレニズム時代,さらにローマ時代になると,神域の形状は軸線性,左右対称性をもつ人工的に精緻に設計された空間構成に変化し,西洋古代の約1千年の間に,「聖性」の表現に変化があったことを述べた。

水野氏はルネサンス期のキリスト教美術研究の専門的な立場から,キリスト教における聖なる場の生成が「場の模倣(トポミメーシス)」であることを前提に,つまり聖地としての天上及び地上のエルサレム,またコンスタンチノポリスやローマの模倣として聖なる空間が形成されることを述べた。具体例として,フィレンツェのサン・ミニアート聖堂の奇跡を起こす磔刑像,同じくフィレンツェのサンティッシマ・アヌンツィータ聖堂の受胎告知の聖母像,そしてインプルネータのサンタ・マリア聖堂の聖母像を取り上げ,それらの聖なる空間がこれらの奇跡像や聖遺物を中心に,パラテクスト的装置,また空間構造の模倣という手法を使いながら,構成されていることについて論じた。

真道氏はイスラム考古学の立場から「聖なるもの聖なる場」について発表を行なった。イスラム教では神アッラーは唯一絶対の神で無形であり,したがってご神体や神像といったものはない。しかし「アッラーは,天地の光である」などと,神が光として表象されることがコーランにも書かれている。したがって,光の器であるガラスのランプが聖なるものとして表象される。また,聖者や預言者のゆかりの品,その足跡などが聖なるものとされるが,それら自体に神が存在するわけではなく,キリスト教のような聖遺物は存在しないし聖遺物崇拝もない。モスクは単に礼拝という機能の場所であるが,その場所が特殊な場所というわけではなく,礼拝する場所の確保が目的である。三大聖地であるサウジアラビアのメッカはカーバ神殿があるところで多神教神殿の利用,また同じくマディーナは預言者ムハンマドの家とモスクがある場所で,イェルサレムは岩のドームが聖なる場所として,神聖視されているが,特定の地形や場所が一般的な聖なる場所ないし空間として崇拝されることはない。

多神教としての日本神道と西洋古代宗教,一神教としてのキリスト教とイスラム教,日本と西洋ないし地中海という風土と歴史の違い,聖性表現の共通と相違,また同じ一神教でもキリスト教とイスラム教での日本の神概念の違い,一神教と多神教での聖性の違い,また西洋でも地中海におけるイスラム教における神概念が強い一神教の性格をもち,抽象性の強い神概念をもっていることが分かった。それに比べ,キリスト教では具体的に聖遺物などを崇拝する傾向が強いことが明らかにされた。また神道と西洋の古代宗教は多神教であるが,共通点として自然と密接に結びつくことが顕著に見られることが指摘された。(伊藤重剛)

青銅器時代の印章と観察用印影作製について
小石 絵美

2013年11月,大変幸運なことに,アテネ国立考古学博物館に所蔵された青銅器時代の印章の調査の機会を得た。調査の目的は,主に観察用印影の作製と記録用写真撮影である。印章とその印影は,割符や護符のような役割や,いわゆる印鑑のような役目が推測されている。素材の多くは石であり,ギリシアでも採鉱される水晶やメノウのような準貴石が好んで用いられ,石以外にも象牙やガラス,黄金などさまざまである。印影とは印章を粘土版に捺すことで生じるレリーフ装飾のことで,印章の図像を研究する場合,基本的に印章ではなく印影を用いる。なぜなら,光沢のある石は光を反射し図像が読み取り難く,縞メノウのような石自体に模様や亀裂が入るものは,より一層困難となるからだ。ここでは,あまり馴染みのない観察用印影の作製を中心に話を進めたい。

今回の調査対象とした印章は,主にアルゴス地方から出土したレンズ型印章で,それぞれの印影は大小さまざまな円形の装飾空間となる。レンズ型印章の平均的な大きさは大体直径2cmだが,調査対象のデンドラ出土の縞メノウ製レンズ型印章は,およそ4cmもの大型印章で,これはエーゲ美術のなかでも群を抜く大きさだ。その図像も実に見事で,波打つ岩肌の大地で起こったライオンによる牛の狩りの場景が表されている。ライオンから逃れるために,牡牛は前足と後足を伸ばしたフライングギャロップで疾走するが,その背には既にライオンが飛び乗り,牡牛の首の付け根に深く牙を食い込ませている。特に目を引くのは牡牛とライオンの表情で,嚙みつかれた,まさにその瞬間の牡牛の驚きや恐怖,そして獲物を仕留めるために必死に食らいつくライオンの表情が,僅か5mm程度にもかかわらず実に生き生きとしている。

ところで,観察用印影の作製には,プラスタリーナと呼ばれる独特の非硬化粘土を使う。この粘土の用途について,筆者はクレイ・アニメで使われるくらいしか思い当たらない。触感は鉛筆デッサンなどに使う練り消しゴムによく似た柔軟性を持ち,紙粘土のように固まらない。色もさまざまあるが,観察用の印影には白やアイボリーが一般的で,写真撮影には現時点で最も適した素材として知られている。11月に調査を設定したのも,このプラスタリーナ粘土の性質が理由の一つだった。ギリシアの夏の高い気温では粘土が軟らかくなりすぎるため,冬の方がより適しているのだ。11月初旬のアテネは,日中は強い日差しが照り付けるが,気温の上昇はそれ程高くはなく,朝晩は肌寒く上着が必要となる。印影作製に不慣れな筆者にとって,11月は適した環境と言えるだろう。

印影を作るためには,まず糸通しの穴を確認する。印章を太陽光やライトで光を当て,透かして見ると,中央に糸通しの穴が太く明るい帯のようにはっきりと浮かび上がる。この穴は錐のようなもので開けられたことが知られていて,片側から一度で貫通させるのではなく,両側から半分ずつ開けられた。そのため穴は一直線ではなく,くの字のような曲線も多い。

いつまでも眺めていたくなるのを抑え,早速印影作製に取り掛かる。まず,印章の糸通しの穴に,裁縫用の細い糸をあらかじめ通しておく。プラスタリーナ粘土適量を取り分け,こねて柔らかくする。これが弱いと印章に負担がかかるので十分に行う。その後,印章よりも大きなサイズの方形に形を整え,絵画用のペインティングナイフで表面をできるだけ平に整える。粘土に捺し付けた印章の取り外しを容易にするため,粘土の表面と印章にベビー・パウダーを筆で塗り付ける。そして,いよいよ印章を慎重に粘土に捺し付ける。図像と印章の輪郭が十分読み取れるように,レンズ型の片面は完全に粘土に埋め込まないといけない。破損しないように慎重に,ゆっくりと進める。また,あらかじめ通した糸を使い,糸通しの穴の位置を示すために粘土板の両端に印をつける。捺し付けるのと同様,あるいはそれ以上に,粘土からの取り外しの作業は緊張する。粘土の表面に触れないように,印影の埋め込まれていない部分と糸をうまく利用し,注意深く取り外す。緊張の作業はこれで終わり,感謝の気持ちを込めて柔らかい筆で印章に残ったベビー・パウダーの掃除をする。これで一つの印影作製が終了する。

今回は印章のなかでも十分強度があり,頑丈なものだけを選出したが,粘土に印章をぐいぐいと押し付けるのだから,どんなに注意しても破損の恐れを拭い切れない。博物館の調査許可に心から感謝をしている。本調査は特にアテネ国立考古学博物館館長カカヴァス氏,そして鹿島美術財団の援助なくしては実現しなかっただろう。この場を借りて改めて謝意を表したい。

ダンヌンツィオとドゥーゼ
鈴木 国男

2013年10月19日から12月13日まで,東京大学駒場博物館において,教養学科地域文化研究分科イタリア地中海コースの開講を記念して「ダンヌンツィオに夢中だった頃──ガブリエーレ・ダンヌンツィオ(1863〜1938)生誕150周年記念展」が開催された。詩人が晩年を過ごしたガルダ湖畔の広大な邸宅と庭園は,現在記念館「ヴィットリアーレ」として生前そのままの様子を見ることができるばかりでなく,数々の貴重な資料を所蔵し,研究の拠点ともなっている。そこからの出展を始めとして,時代を映す鏡ともいうべきその生涯と多彩な活動を示し,日本文化との多くの接点を知ることもできる実に興味深い展示であった。

これに因んで,11月2日には,ヴィットリアーレ財団長ジョルダーノ・ブルーノ・グエッリ教授を招いて国際シンポジウム「ダンヌンツィオに夢中だった頃──国際詩人の軌跡とMishimaが交わるとき」が行なわれた。またテーマ講義・講演会・演奏会・ギャラリートークなど様々な企画があり,地中海学会員を含む多くの参加者によって,文学のみならず美術・音楽・演劇・映画などのジャンル,政治や戦争における行動,そして日本人と詩人との相互の影響関係など多角的な観点からダンヌンツィオの全体像が明らかにされていった。ダンヌンツィオ研究会によって編まれた冊子は,年譜や作品紹介,上記各分野についての解説が盛り込まれ,その全体像へといざなう格好の案内書となった。展覧会は引き続き2014年1月22日から3月9日まで京都大学総合博物館においても開催された。すべて村松真理子先生と協力者の方々による努力の賜物である。

筆者もこのテーマ講義において,エレオノーラ・ドゥーゼ(1858〜1924)とダンヌンツィオについて話をした。ダンヌンツィオとドゥーゼの演劇上の,そして私生活における交流は,1894年から1904年まで足かけ10年のことである。この間に詩人が書き,女優が舞台にかけた作品は,『春の曙の夢』『ラ・ジョコンダ』『死の都』『フランチェスカ・ダ・リミニ』の4編である。これらはドゥーゼのレパートリーに長く留まることはなかった。彼女が生涯当たり役としたのは,シェイクスピア,ゴルドーニ,サルドゥ,デュマ・フィス,ヴェルガ,そしてイプセンの作品である。一方,ダンヌンツィオの劇作品の最高傑作とされる『イオーリオの娘』『聖セバスチャンの殉教』はこの中に含まれない。また,ドゥーゼは紛れもないディーヴァであり,エレン・テリー,サラ・ベルナールと共にヨーロッパ三大女優と称された一人である。とはいえ,この三人は互いに似て非なるところがあり,それが個人の資質と同時に,それぞれの国の演劇状況を如実に反映しているのが面白い。そしてドゥーゼの弱点は自国の新作に恵まれなかったことだ。それを満たしてくれるのがダンヌンツィオのはずだった。

今にして思えばいかにもミスマッチだったとはいえ,その当時,二人がそれほど熱烈に相手を求め,世間も注目したのは,やはりそれぞれが大スターだったからだ。これが戦後の日本だったら,さしずめ三島由紀夫と杉村春子といった所だろうか。そう例えておいて何だかしっくりこないのは,時代と文化の違いゆえであり,あるいは面白い比較研究になるかもしれない(と筒井康隆も示唆しているのだろうか)。

私ごとになるが,筆者の修士論文はダンヌンツィオの演劇がテーマだった。そして80年代の半ばにダンヌンツィオとドゥーゼに関する論文を続けて発表したのがいわばデビューである。その後,ゴルドーニをやったりオペラや宝塚歌劇にのめりこんだりして,この二人とはすっかり疎遠になってしまった。それが予期せぬ縁から2008年にヴェネツィアでのドゥーゼ生誕150周年のシンポジウムに参加することになった経緯は4年ほど前の月報349号に書かせて頂いた。

そのシンポジウムの参加者に配られたチーニ財団制作による《divina Eleonora, Eleonora Duse nella vita e nell’arte》というCDは,ドゥーゼを巡る現存する写真のほとんどすべてが収録されている貴重なものである。テーマ講義では,これらの写真とドゥーゼが出演した唯一の映画《Cenere》の映像を用いながら話をした。長らく死蔵していたものを披露する機会に恵まれたのは幸いだったが,まだまだ多くの人に見て頂きたい。御興味のある方は,どうぞお申し出下さい。

そして今回,学問的には何の進歩もないものの,再びドゥーゼについて語る機会を得て,改めて読み直したのが,William Weaver, Duse a biography, New York, 1984であった。この本は著者と親交のあった須賀敦子先生から頂いたものだ。こうしてまた懐かしい思い出を蘇らせながら一つのサイクルが閉じようとしているが,ふと気付いたのは,30年前に比べて自分がドゥーゼの方にはるかに共感するようになっているということだ。演劇というものにより深く関わってきた年月がそうさせたのだろう。

〈寄贈図書〉

一部の図書の紹介が遅れましたことをお詫びします。

『純心科研論文集』第1號 浅野ひとみ・石海青編 長崎純心大學 2012年
『オペラは脚本(リブレット)から』辻昌宏著 明治大学出版会 2014年3月
『エトルリア学』マッシモ・パロッティーノ著 小川煕訳 同成社 2014年6月
『ルキアノス 食客』丹下和彦訳 京都大学学術出版会 2014年10月
『シーレ川とブレンタ川の流域に関する研究──ヴェネツィアを支える水のテリトーリオ』法政大学デザイン工学部建築学科陣内研究室編 2014年10月
『日仏美術学会会報』33(2013)
『スペイン・ラテンアメリカ美術史研究』14(2013),15(2014)