地中海学会月報 MONTHLY BULLETIN

学会からのお知らせ

第45回地中海学会総会

第45回地中海学会総会は、新型コロナウイルス感染拡大のため、6月25日消印有効の書面審査にて開催され、正会員196名の投票を得て、定款第28条に基づき成立しました。
議事6件のうち、①2020年度事業報告は賛成193票(未承認2票、無回答1票)、②2020年度決算も賛成193票(未承認2票、無回答1票)で原案どおり承認され、③2020年度の会計/会務執行を適正妥当と認めた大髙保二郎・野口昌夫両監査委員による監査報告も194票(未承認1票、無回答1票)を得て承認されました。また、④2021年度事業計画は賛成192票(未承認2票、保留1票、無回答1票)、⑤2021年度予算も賛成191票(未承認3票、保留1票、無回答1票)で原案どおり承認され、⑥本村凌二会長の任期満了にともなう次期会長の選出、常任委員・監査委員の選出についてもそれぞれ賛成190票(保留1票、無回答5票)、191票(保留1票、無回答4票)を得て、原案どおり承認されています。

2020年度事業報告(2020.6.1~2021.5.31)
Ⅰ 印刷物発行
1.『地中海学研究』XLIV 2021.5.31発行 
(論文)「マウレタニア王プトレマイオスの死とローマ皇帝カリグラ──北アフリカにおけるローマ支配の進展とマウレタニア王国の属州化」大清水裕/「A Fig Tree with an Axe Put at its Root: Eschatological Representation in a Byzantine Psalter (cod. Dionysiou 65)」太田英伶奈/「セルリオの建築書『第四書』にみる対概念の共存と「判断力」――ペルッツィとウィトルウィウスを乗り越えて――」飛ヶ谷潤一郎/(書評)「栗原麻子著『互酬性と古代民主制 アテナイ民衆法廷における「友愛」と「敵意」』」齋藤貴弘/「赤松加寿江著『近世フィレンツェの都市と祝祭』」大西克典/(大会記念講演)「ピカソと地中海――神話的世界から《ゲルニカ》へ」大髙保二郎/(報告)「地中海学会第44回大会シンポジウム『地中海都市の重層性』」黒田泰介・高山博・山下王世・加藤磨珠枝
2.『地中海学会月報』 431~440号発行(6・7月/9月~5月)年間10回
3.「地中海学会会員名簿」の発行
4.『地中海学研究』バック・ナンバーの頒布

Ⅱ 研究会、講演会
1.研究会
「ニコラ・プッサンの風景画に見る官能的快楽のテーマ」瀧良介(オンライン会議 9.5)/「古代エジプト・ギリシア・ローマにおける建築と人体の比例理論の相互関連性について」安岡義文(オンライン会議 10.3) /「イスラーム都市と水施設:マムルーク・オスマン期カイロのサビール・クッターブについて」吉村武典(オンライン会議 12.5)/「ゴルドーニの『スタティーラ』──演劇改革の萌芽」大崎さやの(オンライン会議 4.10)
2.連続講演会
秋期連続講演会(アーティゾン美術館土曜講座)「アーティゾン美術館コレクションの魅力」
9.19~10.10「ミケランジェロの「古典主義」の継承と革新──ロダン・藤島武二・ポロック」小佐野重利/「マネ、ファンタン=ラトゥールと女性画家たち──フランス近代絵画の知られざる魅力」三浦篤/「変貌するピカソとアーティゾン美術館──事物から人間へ」大髙保二郎/「革新の海──近代絵画と地中海」高階秀爾

Ⅲ 賞の授与
1.地中海学会賞 受賞者:該当なし
2.地中海学会ヘレンド賞
 受賞者:熊倉和歌子氏
 副賞:受賞記念磁器皿「地中海の庭」(星商事株式会社提供)

Ⅳ 文献、書籍、その他の収集
1.『地中海学研究』との交換書:『西洋古典学研究』『古代文化』『古代オリエント博物館紀要』『岡山市立オリエント美術館紀要』Journal of Ancient Civilizations
2.その他寄贈図書:月報・学会HPで周知

Ⅴ 協賛事業等
1.NHK文化センター青山アカデミー講座 企画協力
2.ワールド航空サービス知求アカデミー講座 企画協力「地中海学会セミナー」(休会中)

Ⅵ 会 議
コロナ禍のため、すべてオンラインまたはメールにて開催。
1.常任委員会6回開催
2.学会誌編集委員会3回開催、他Eメール上にて
3.月報編集委員会1回開催、他Eメール上にて
4.大会準備委員会・実行委員会(合同)1回開催、他Eメール上にて
5.ウェブ委員会Eメール上にて
6.賞選考小委員会2回開催

Ⅶ ホームページ
URL=http://www.collegium-mediterr.org
「ご案内」「事業内容」「『地中海学研究』」「地中海学会月報」「地中海学会の出版物」「図書紹介」「写真で綴る地中海世界の旅」

Ⅷ 大 会
第44回大会(オンライン開催)11月11・12日

Ⅸ その他
1.新入会員:正会員5名;学生会員2名(2021.3.31現在)

2021年度事業計画(2021.6.1~2022.5.31)
Ⅰ 印刷物発行
1.学会誌『地中海学研究』XLV(2022年5月発行予定)
2.『地中海学会月報』発行 年間約10回
3.『地中海学研究』バック・ナンバーの頒布

Ⅱ 研究会、講演会
1.研究会の開催 年間5~6回程度
2.アーティゾン美術館土曜講座 「蘇生する古代」(仮題) 全4回(2021年11月)

Ⅲ 賞の授与
1.地中海学会賞
2.地中海学会ヘレンド賞

Ⅳ 文献、書籍、その他の収集

Ⅴ 協賛事業、その他
1.NHK文化センター青山アカデミー講座 企画協力
2.ワールド航空サービス知求アカデミー講座 企画協力「地中海学会セミナー」

Ⅵ 会 議
1.常任委員会 2.学会誌編集委員会
3.月報編集委員会 4.大会準備委員会
5.ウェブ委員会 6.その他

Ⅶ ホームページ
URL=http://www.collegium-mediterr.org 逐次更新

Ⅷ 大 会
第45回大会(於大塚国際美術館101ホール)12月11・12日

Ⅸ その他
1.賛助会員の勧誘 2.新入会員の勧誘
3.法人化に向けての検討 4.展覧会の招待券の配布 5.その他

新役員紹介

第45回総会において下記の通り新役員が選出されました(再任を含む)。
会  長:小佐野重利
常任委員:秋山  聰 飯塚 正人 石井 元章
     岩崎えり奈 片山 伸也 加藤  玄
     亀長 洋子 金原由紀子 京谷 啓徳
     黒田 泰介 小池 寿子 児嶋 由枝
     佐藤  昇 末永  航 杉山晃太郎
     高田 和文 鶴田 佳子 貫井 一美
     畑 浩一郎 飛ヶ谷潤一郎 藤崎  衛
     益田 朋幸 水野 千依 師尾 晶子
     山辺 規子
監査委員:島田  誠 野口 昌夫

論文募集

『地中海学研究』XLV(2022)の論文・研究動向および書評を以下のとおり募集します。
 論文・研究動向 32,000字以内
 書評 8,000字以内
 締切 2021年10月末日(必着)
 投稿を希望する方は、テーマを添えて9月末日までに学会誌編集委員会(j.mediterr@gmail.com)までご連絡下さい。
 なお、本誌は査読制度をとっています。

インプルネータのワインと聖なる母たち
桑原 夏子

ある燃えるような暑い夏の日、ローマの友人に誘われインプルネータ(Impruneta)のワインセラーを訪ねた。インプルネータはフィレンツェの南にある小さな町で、テラコッタの産地として名高い。実際にこの地のテラコッタは、フィレンツェ大聖堂のクーポラにも住居の壁や床にも使われている。フィレンツェとの縁は政治的にも文化的にも深い。たとえばインプルネータの教区司祭はブオンデルモンティ家から多く輩出されたが、この一族はダンテの『神曲』にも登場する、アミデイ家との抗争で有名なあの一族である。町の中心にある大聖堂に入ると、キリストの使徒聖ルカが描き、この地に定住を始めた人々が持ってきたとされる聖母子像が納められている。この聖母子像は雨にまつわる奇跡によってフィレンツェでも崇敬を集め、14世紀半ばにはこの聖母子像を担ぎフィレンツェまで行列が組まれたという。大聖堂の主祭壇にはピエトロ・ネッリの描いた多翼祭壇画が飾られており、その《聖母の埋葬と聖母被昇天》の図像は、フィレンツェのオニッサンティ聖堂のためにジョットが描いた《聖母の埋葬》とぴたりと一致している。

友人の同僚の実家がワインセラーを経営していると聞いていたが、このワインセラーFattoria di Bagnoloを経営する彼らの先祖は、トスカーナ大公レオポルド2世に重用され、侯爵の位を授けられたバルトロメオ・バルトリーニ・バルデッリ(Bartolommeo Bartolini Baldelli、1804年-1868年)である。バルトロメオはフィレンツェの重要な聖堂の1つ、サンタ・クローチェ聖堂の新ファサード装飾事業を監督し、建設に際して時の教皇を招き、盛大な儀式を催したという。彼らの所有していた館は、今も同聖堂広場の片隅に佇んでいる。そして1850年頃、バルトロメオはインプルネータにあったマキャヴェッリ家所有の館と土地を購入した。この館こそが訪れたワインセラーFattoria di Bagnoloである。

館内を案内しながら、友人の同僚のお母様が一族とワインセラーの歴史を話してくださった。一家が侯爵の末裔であることに面食らい、またトスカーナ大公レオポルド2世やマキャヴェッリ家など、歴史上の重要人物の名前が次々と登場し、一瞬、大きな歴史の渦の中に投げ込まれてしまったような気がした。一番古い15世紀のワインセラーを案内しながら、彼女は話を続けた。第二次世界大戦中、ドイツ兵から身を隠すためインプルネータの男性たちは空のワイン貯蔵庫の中に潜んだという。男性は見つかると殺されてしまう危険性があったからである。しかし山中を歩き憔悴しきったドイツ兵の姿に同情したインプルネータの女性たちは、彼らにそっと食事とワインを提供した。ドイツ兵たちはこの親切に心から感謝の意を表した。その打ち解けた様子に、隠れていた男性たちも姿を現し、共にワインを楽しんだという。もちろんドイツ兵たちはインプルネータを略奪することなく、感謝を述べて立ち去っていったらしい。私の脳裏に、遠藤周作の『聖書の中の女性たち』のエピソードがよぎった。遠藤は、民衆に罵倒され十字架を背負ってゴルゴタの丘を歩くキリストを憐れみ、その汗と血をぬぐった聖女ヴェロニカのエピソードを引いて、ある集団がどんなに堕落していたとしても、信頼できる心優しい人間も必ずいるはずであると書いている。そして遠藤自身が伝え聞いた第二次世界大戦中のフランスの田舎での出来事を記している。そこには、傷ついた敵のドイツ兵を憐れみ、食事の世話と看病をした1人の女性がいたのだという。遠藤が伝え聞いたフランスの女性や、インプルネータの女性たちこそ、ヴェロニカなのかもしれない。

ワインセラーの案内が終わると、用意されたテーブルに自家製の野菜を使った料理と共に4つのワインが並んでいた。教わった通り、ワインを温めぬようワイングラスの足の下の方を持ち、白いナプキンの上でグラスを傾け、色と透明度を見る。グラスをそっとゆすり、鼻を近づけ、馥郁たる香りを味わう。そしてワインを少し口に含み、舌先、両頬の内側、上の歯茎を使って、甘みやタンニンの刺激を感じる。喉を流れる刺激が続く時間を数える。そして、その風味がどんなものであるかを、比喩を使いながら表現する。風味を言語で表現する作業は、目で見た形をディスクリプションする美術史の様式分析にも似ている気がした。テーブルにチーズとチョコレートも出され、ワインとの組み合わせによる風味の変化も味わった。日常の恵みである一杯のワインの風味を、ここまで様々な角度から堪能できるのかと目から鱗が落ちた心地であった。

テイスティング後、私たちはオリーヴ畑とブドウ畑を見晴らすプールに浸かった。ローマっ子の友人に、バルトリーニ・バルデッリ侯爵の末裔に、日本人の私。時代が違えば出会うことのなかった私たちは、聖母子像と共に人々がやって来た頃からほとんど変わらぬ穏やかな丘陵風景を、共に眺め、一緒にワインを味わい、夏の日差しと水の冷たさを愉しんでいる。インプルネータの美味しいワインを育てた聖なる母たちは、日常の中の幸福の種を愛おしみ、人々を結びつける役割を担ってきたのだろう。

トルコの聖者廟とお地蔵さん巡り
堀川 徹

昨年来のコロナ禍で新たに始めたことが二つある。一つは、スマートフォンを使いだしたことであり、もう一つは近所のお地蔵さん巡りを始めたことである。

携帯電話が普及した後も、私はそれを持とうと考えたことはなかった。ただでさえ忙しいのに、さらに仕事に追い回されることになるというのが私の言い分である。公衆電話を探すのに苦労したり、家族から一番必要な人が持っていないと非難されたりしても、持つつもりはなかった。

ところが今回の事態で、授業がオンラインで行われるようになると、色々な場面で受講生と速やかに連絡を取る必要が生じてきた。大学から指示される教務の様々な手順やルールは、皆がスマホを持っていることを前提に決められているのである。連れ合いが、機種を新しくしたいと言うので、お下がりをもらうことにした。真っ赤なスマホである。

コロナ禍で始めたもう一つのことは、昨年3月にニューヨーク勤務となって赴任した娘と関わっている。当初、コロナの感染者も死亡者もアメリカが飛びぬけて多く、その真っ只中で勤務する娘が無事であることを願うのは親として当然のことであろう。とはいえ、こればかりは人知の及ばぬことである。私はとくに信仰する宗教を持っているわけでもなく、信心深いというわけでもない。ただ、この世に人間の力の及ばぬことがあることは実感しており、その意味では「神」の存在を認識していると言える。

そこで始めたのがお地蔵さん巡りである。

現在居住している京都市山科区は、京都盆地を東に一山越えた山科盆地に位置し、さらに東に山を越えれば東海道を大津へと出て行く。京都からの主要な街道の出入口に、厄災の侵入を防ぎ、旅人の道中無事を祈る意味から地蔵尊がまつられたという。東海道の出入口にあたる山科も同様で、その地蔵堂がわが家のちょうど真北に位置している。そこで、わが家を守ってもらえるとの思いから、連れ合いとともに娘の無事をお願いするようになった。

参詣を始めて思い出したのが、かれこれ40年ほど前、日本学術振興会の派遣研究員としてトルコのアンカラに滞在していた時、コンヤで行われたセマー見学のツアーに参加したことである。セマーは、音楽に合わせて旋舞することで忘我の境地に入り、神との精神的一体感を目指すメヴレビー教団の修行法である。その時、コンヤの体育館でセマーを見学した後、観光バスは幾つかの聖者廟を訪ねて回った。そしてある聖者廟では、参詣してきた方たちが皆、手に手にビニール袋に入った塩を持って戻ってきたのである。一人のご婦人に尋ねたところ、調理にこの塩を使うと「砂糖病」にならないとの答えであった。恐らく、その聖者廟は糖尿病に対して霊験あらたかなのだと推測し、日本の社寺へのお参りとよく似ているなと感じたのである。

この6月に、私が副会長をしている日本トルコ文化協会で行われた「第136回トプカプさろん」講演会で、トルコのスーフィー聖者の研究をされている京都大学大学院の真殿琴子さんのお話を伺った。イスラームが民衆の中に浸透していくのに、スーフィズムと聖者崇拝が大きな役割を果たしたことは良く知られている。コロナ禍のなかオンラインで行われた講演で、真殿さんは、トルコに滞在されている時に訪問した幾つかの聖者廟についても報告された。聖者廟には多くの人たちが参詣に来ていて、その中でも女性が多かったと話された。40年近く前に私が参加したツアーも、女性の方が多かったように思う。メインはセマー見学であったものの、聖者廟巡りも参加者たちの大きな目的であったことを改めて理解したのであった。

さて、地蔵堂へのお参りを始めてみると、今までその前を通っていても気づかなかった近所のお地蔵さまが目に付くようになった。そこで、自分一人でこうした地蔵尊にもご挨拶して回ることにした。京都では子供の成長と安全を願って、各町内にお地蔵さまを祀り、8月末に地蔵盆を行うのである。そこかしこにお地蔵さんが祀られているのは当然のことで、現在、存在を確認したのは32カ所、家の近くにある二つの神社とともに、仕事のない日には巡拝している。これらを全部回ると2時間近くかかる。

ところで、昨年から始めたスマホの一機能は、私に思いもかけない励みをもたらしてくれた。それは「歩数」の記録である。地蔵尊巡りはわが家近くの1㎞四方に満たない範囲なのに、歩数は毎回9,000歩を超える。おかげで1日の歩数はほぼ毎日1万歩を優に超え、今年に入ってからの平均歩数は13,000歩超となっている。

ニューヨークの娘は、早くも5月初旬に2回のワクチン接種を終えており、お地蔵さん巡りは歩数稼ぎにすぎないのではないかと連れ合いに言われる。しかし、アメリカでは最近また感染者数が増えているという。スマホを携えてのお地蔵さん巡りは、まだまだ当分続くことになりそうである。

表紙説明

地中海の《癒し》3:エピダウロスのアスクレピオス聖域/佐藤 昇

今般の疫禍により世界保健機構(WHO)は殊のほか注目を集めた。苦渋に満ち、焦燥感すら感じられる会見の背後には、たいてい青地に白で描かれた同機構の標章が映し出されている。地球を図案化した国連の標章に、蛇が絡む「アスクレピオスの杖」を組み合わせたものである。多言を弄するまでもなく、この図案は聖なる蛇を従えた古代ギリシアの医神アスクレピオスに由来している(WHOが疫禍終息を古代ギリシアの神に頼っているという訳でもないだろうが)。

アスクレピオスは古代ギリシアの各地で信仰された。アテナイのアクロポリス南麓には、前5世紀、疫病流行に際して勧請されたこの医神の聖域が設えられている(写真左下)。また医術の祖ヒポクラテスが活躍したコス島や小アジアのペルガモンには、アスクレピオスの壮麗な聖域が建設された。そしてこれらに劣らぬ見事な聖域が、ペロポンネソス半島東部エピダウロスに現存している。現在、この聖域ではアスクレピオス神殿を含む古代の医療施設群が見事に復元されており、また周囲には石造の壮大な劇場(写真上)や運動競技場、各種神殿跡などが立ち並び、古代の栄華を肌で感じることができる。

エピダウロスの魅力はいくつもあるが、聖域に設置された「治癒」記録碑文群はとりわけ刺戟的である(月報398号でも橋本資久氏により詳しく紹介されている)。治療行為の詳細は判然としないが、碑文によると、聖域を訪れた患者たちはまず「アバトン」と呼ばれる施設(写真右下)に籠り、眠りにつくことになっていた。妊娠後数年が経過してなお出産に至らず、思い悩んでいた女性が、お籠りの後たちどころに子供を産むことができたという記録も残されている(女性患者の訪問が散見されるのも興味深い)。またお籠りの間にアスクレピオス神自身が患者の夢枕に立っていたという記述も目立つ。禿頭の男性に医神が薬を塗布したところ、たちまち髪が生えてきたという夢のような話もある。また騙されてヒルを飲まされたある男性は、お籠りの最中、夢枕に立つ医神に小刀で胸を開かれ、体内からヒルを取り除いてもらったという。目が覚めると実際に治癒していた(と記されている)のは言うまでもない。迷信めいた記述の裏に当時の外科施術の実態も見え隠れする。この他、医神の象徴とも言える蛇が活躍している事例もあるが、興味深いことに犬が治療に貢献しているケースも記されている。盲目の少年や首におできのある少年が、いずれも犬の舌や歯によって治療されたというのである。神殿に安置された象牙黄金製のアスクレピオス像にも蛇と並んで犬の像が寄り添っていたとされており、どうやら神殿の犬には医神の治癒力が宿っていると考えられていたらしい。

さて、現代でも犬は医療分野で活躍している。その圧倒的な嗅覚の鋭さから、このところは新型コロナ感染者を探知する役割まで期待されているという。病に苦しみ続ける人類は、動物に宿る特別な力に、今なお思いのほか大きな期待をかけ続けているようである。