写真で綴る地中海の旅 journey

2019.01.30

聖母マリアのカンティーガ集

地中海世界の〈城〉8:城と音楽/金光 真理子

私的な繰り言から始めることをお許しいただきたい。私は大学院時代2年間イタリアへ留学し,帰国後も夏や冬の休暇にはイタリアを訪ねてきた。しかし,観光を除けば,一度も城を訪れたことはない。私の研究対象はイタリアの民俗音楽・舞踊で,おもにサルデーニャの三管の葦笛「ラウネッダス」や,カラブリアやバジリカータのバグパイプ「ザンポーニャ」を調査してきた。ボローニャ大学の仲間たちとフリウリやピエモンテのカーニバルを見に行ったり,プーリアの夏祭りやシチリアのザンポーニャ奏者を訪ねたりしたこともある。ところが,その間,城を意識したことがなかった。たとえば,サルデーニャの州都カリアリ中心部の城には図書館があったので利用していたが,それはあくまでも資料を探すため。むしろ研究対象のラウネッダスをみるには,城からはるか離れた村々へ長く険しい山道を車で数時間超えて行かねばならなかった。南部のザンポーニャも同様である。イタリアの民俗楽器(と一括りに言って良いだろう)が鳴り響き,人々が踊るのは,城壁の外である。

西洋音楽史では城は音楽とくに器楽を醸成した重要な場である。遡れば12世紀の南仏の宮廷では,吟遊詩人トルバドゥールたちが愛の詩を楽器のしらべにのせて歌っていた。「愛」の概念をはじめ,中世アラブからヨーロッパへ伝わった文化の一つに楽器がある。表紙の細密画は,13世紀イベリア半島のアルフォンソ10世が編纂した歌曲集『聖母マリアのカンティーガ集Cantigas de Santa María』の挿絵の一つである。音楽家を描いた細密画から,当時の楽器の姿を窺い知ることができる。リュートをはじめ,後のヴァイオリンの原型であるヴィエル,オーボエの原型であるダブル・リードのショームなど,現在のオーケストラで演奏される楽器の多くがアラブからヨーロッパへ伝わったと考えられる。

城すなわち宮廷は国の政の中心地であり,さまざまな式典や祝賀行事にはその威信を示す音楽が欠かせない。そこでヒト・モノ・カネが集まる宮廷だからこそ出来る音楽が,器楽合奏である。高価な楽器を揃え,それを演奏する楽師を雇い,訓練して初めてできる器楽合奏は,宮廷ならではの音楽である。高らかに鳴り渡るファンファーレ,壮麗な音楽は,絶対王政時代と重なるバロック時代,まさに王権の象徴であった。ルイ14世に仕えたリュリをはじめ,音楽家は食卓から祭礼まで宮廷のあらゆる場を音楽で彩った。こうした宮廷の器楽合奏が管弦楽の発展につながり,市民革命以降もオペラ劇場やコンサートホールへとオーケストラの演奏の場は広がっていく。

さまざまな楽器がそれぞれの個性(音色など)を活かしながら旋律や伴奏をいわば役割分担して演奏するのがオーケストラとすれば,ラウネッダスやザンポーニャはそれを一人で担い演奏してきた。当然のことながら音楽の構造が異なるので単純な比較はできないが,城の中で幾人もの音楽家が協力して演奏する器楽合奏が鳴り響いていた頃,城の外では独りの音楽家がその大音量で祭りや婚礼の場を取り仕切り,多くの村人を楽しませていたのである。

*地中海学会月報 404号より