写真で綴る地中海の旅 journey

2019.01.30

海辺の城塞(シエナ)

地中海世界の〈城〉5:ロレンツェッティの描いた海辺の城塞/水野 千依

シエナの国立絵画館に2枚の小さな板絵がある。海辺の都市と湖岸の城塞を描いたこの2作は,1340年頃に制作され,ゴシック期のシエナ美術を代表する画家アンブロージョ・ロレンツェッティ(1290年頃-1348年)の手に帰されている(サッセッタやシモーネ・マルティーニの作とする説もある)。これらの板絵は,「天上のエルサレム」を原型とする従来の都市の象徴的な定型表現から自然主義的表現への移行を示す画期的な作品とされる。しかもいずれも,より大きな構図の一部から切り取られた細部ではない。水面に反射する光の色彩が異なるように,2作は個別の独立した作品である。そのため,風景画がまだジャンルとして確立されていない中世末にあって,これらは純粋に「風景として描かれた」きわめて早い時期の作品として注目されてきた。もっとも,2枚が本来,何のために描かれたのかはわかっていない。おそらくはシエナのコンタード(都市周辺の農村部)のさまざまな中心地に関わる資料を保管する収納庫扉を装飾していたという説が主流である。作者や機能に関しては諸説紛糾しているものの,ほぼ異論なく認められていることがある。海景の魅惑的な表現と地誌的描写の精緻さから,湖岸の絵に描かれているのが,トスカーナの「城塞都市(カステッロ)」,タラモーネだという点だ。

「城」というと,一般には領主の住まう邸館や砦を思い浮かべることだろう。だが,イタリア語の「城(castello)」には,丘の中腹や頂,海辺,都市の境界などの要衝地に建てられた防備施設をそなえた「城塞集落」という意味もある。現在は,グロッセート県オルベテッロの一集落であるタラモーネは,14世紀にはシエナ共和国の最も重要な海辺の城塞都市であった。古くはエトルリア人が住み,紀元前280年頃からローマ人の支配下に入り,紀元前225年にはローマ人とガリア人が争った「テラモンの戦い」の場となったことでも知られる。

鳥瞰的視点で捉えられたこの城塞都市は,周囲を城壁に囲まれ,集落を三つの核に分節した多中心的構造を示している。それぞれの核は,広場や教会や世俗の公的建築を中心に形成されている。全体を見渡すように聳えているのが要塞であり,残りの居住空間から隔絶されている。この要塞は,外部の攻撃から集落を守護すると同時に,シエナのために住民を支配する。城塞都市は,10,11世紀頃からイタリアの北・中部で,領主が近隣農民を城の周りに集住させ,守護と支配により領主制度を確立するために次々と建設された。12世紀後半になると,自治を獲得した都市国家が領地拡張に乗り出し,コンタードの城塞都市を自らの領土に組み込んでいく。その流れのなか,これまでは不規則な形状であった集落は幾何学的な構成を示しはじめ,集落内部は党派間の競争を示す塔が林立するようになる。この絵でも高さを競いあう塔がやはり目につく。

もっとも,絵画は現実をそのまま映し出しているわけではない。都市や建築の具体性,地誌的特徴の忠実な描写にもかかわらず,夏の午後の静寂と充満する光のなかで捉えられた晴朗な都市は,人気なく,影を落とすこともない。ただ白い帆を膨らませ碧い水面を進む船と,右下の湖に足を浸ける人物だけが,生気を湛えている。

*地中海学会月報 400号より