写真で綴る地中海の旅 journey

2019.01.30

ドブロヴニク(クロアチア)

地中海の〈城〉10:ドブロヴニクの都市築城/中島 智章

クロアチアのアドリア海沿岸地方ダルマチアは,ビザンツ帝国が弱体化した11世紀以来,ハンガリー王国,ヴェネツィア共和国などの係争地となり,15世紀以降はオスマン帝国も海陸からこの地域に進出してきた。そのため,ダルマチアの各都市には充実した都市築城(urban fortification)が営まれ,現存するものも数多い。1979年に本例やスプリト,1997年にトロギルが世界遺産一覧表に記載され,そして2017年にはイタリア,クロアチア,モンテネグロに分布する数箇所の築城群が「16〜17 世紀のヴェネツィアの防禦構築物群:『陸のヴェネツィア』と『海のヴェネツィア』西部」(筆者試訳)として世界遺産となっている。

ここでいう「防禦構築物」(works of defense)とは「築城」(fortification)とほぼ同じ意味とみてよいだろう。軍事用語としての「築城」は,ラテン語の「強い」と「作る」の複合語fortificatioに由来するヨーロッパ諸語の翻訳語である。それは都市や交通の要衝などの戦略要点(strategic point)を防禦するため,その周囲に構築された建造物,工作物,構造体全般を指す。その目的は,防衛対象への敵の侵入を阻止する,あるいは制限・遅滞させることであり,敵の戦闘力の発揮をできる限り妨げると同時に味方の戦闘力の発揮を容易にするための様々な工夫がこらされる。通常,「城」と邦訳されるcastle(英),château(仏),Schloss(独)も築城の一種である。

今回紹介するクロアチアの都市ドブロヴニクは「アドリア海の真珠」と呼ばれる美しい都市で,1358年のザダル条約により実質上の独立自由共和国「ラグーサ共和国」となり,1808年まで続いた。12世紀から17世紀までの様々な時代の築城がみられ,総延長1.9キロメートルの囲壁は完全に現存する。

写真は西側の囲壁を望んだもので,ピレ(Pile)門がみえる。これは歴史的市街地の目抜き通りであるプラツァ通りと城外に広がるピレ街を結ぶ西の市門である。門の直前には半円形平面のバービカンが設けられ,バービカン上部には火砲を設置するバンケットと砲門が設けられた。囲壁上の歩路を防禦するパラペットも火砲の時代に即して分厚く強化されている。

湾を隔ててピレ門の向こう側にロヴリイェナチュ(Lovrijenac)城郭が断崖上にみえる。11世紀に建造されたといわれ,少なくとも1301年の史料にその存在が記されているが,現状は15~16世紀のものである。砲門が海側のみならず陸側のピレ街の方も指向していることに注目されたい。築城化された港湾拠点を攻略するにあたって,木造艦艇をもって海側から攻撃するのは,接近しての効力射(effective fire)実施や陸戦隊揚陸などが困難かつ危険で効果を挙げにくく,陸地側から陸上兵力をもって攻囲するのが正攻法だった。

そのため,ドブロヴニクでもザダル,スプリトでも稜堡(bastion)などの近世築城は陸側に対する備えとして建設されており,ドブロヴニクでは,囲壁の北東隅に位置するレヴェリン(Revelin)城郭が北側の囲壁と堀を統制している。15世紀半ばに建設され,16世紀に建築家アントニオ・フェッラモリーノ・デ・ベルガモが改修した。「レヴェリン」の名はイタリア語の築城用語「リヴェリーノ」(rivelino)に由来する。

*地中海学会月報 406号より