写真で綴る地中海の旅 journey

2019.01.30

カスル(エジプト)

地中海世界の〈城〉6:エジプトの城砦集落カスル(ダハラ・オアシス)/岩崎 えり奈

エジプトでは城砦集落をあまりみかけないように思われる。実際,城(砦)はアラビア語でカスルと言うが,エジプトの行政区分の町・村名で数えたところ,このカスルを名前にもつ集落は,複数形のルクソールを含め,エジプト全土でおよそ5000ある町・村のうちのたった21であった。しかもカスルの多くは館(城)の意味で使われている。

城砦集落がかつて多かった数少ないエジプトの地域は西部砂漠(リビア砂漠)である。西部砂漠には5つのオアシス群があり,古代の時代からスーダンをエジプト,地中海と結んでいた隊商路ダルブ・アルバイン沿いのハルガ・オアシスに城砦集落がとりわけ多かった。街道沿いには,カスルを名前にもつ遺跡が多く点在する。

ダハラ・オアシスにも城砦集落がいくつかある。アイユーブ朝期に建設されたカスル,カラムーン,ブドゥフル,マムルーク朝期に建設されたムート,バラートである。カスルは,その名の通り,西方や南方からの遊牧民の襲来を防ぐために,砦で囲み高台のローマ時代の遺構上にアイユーブ朝期の12世紀に建設された集落である。

現在のダハラ・オアシスはカイロからバハリーヤ,ファラフラ・オアシス経由,またはアシュートからハルガ経由でしか辿り着くことができず,ナイル川流域からみて辺境にある。しかし,地下水に恵まれ,小麦などの農産物が豊富であったダハラ・オアシスは農産物を求めてナイル峡谷の諸都市から商人が往来し,南方や西方から遊牧民がしばしば襲来という形で訪れる農業センターであると同時に,いくつもの隊商路が交差しナイル川とアフリカを結ぶ要衝の地でもあった。その中心だったのが,ダハラ・オアシスの西側のカスルと東側のバラートである。

カスルの旧市街は,夜になると門を閉じる複数の街区に分かれ,細い通りと路地,4階や5階建ての住宅が密集するイスラーム都市に特有な構造を現在も保っている。旧市街のランドマークは12世紀に建てられたとされるナスルッディーン・モスクであり,高さ21メートルのミナレット(写真右側)が目印である。モスクは19世紀に再建されたものだが,ミナレットは12世紀当時の形を留めている。そのすぐ横には,マドラサがあり,現在も使われている。さらにその隣には,プトレマイオス王朝期の神殿跡に建てられたとされる邸宅があり,アーチ型の廊下や木彫を施したドアをみることができる。そのすぐ近くには,法廷や広場などの公共施設が並んでいる。

20世紀後半以後の砂漠開発とともに,城砦集落はハルガ・オアシスでは消滅した。西部砂漠で昔の城砦集落の景観を保っているのはダハラ・オアシスのカスルとバラートだけである。史跡保存区域に指定されているので城砦集落の街並みがなくなる恐れはないが,この2つの集落においても,周辺には新しい住宅が増え,昔の景観が失われつつある。本年8月に表紙の写真を撮った際にも,周辺の住宅が写らないように撮影するのに苦労した。

*地中海学会月報 402号より