学会からのお知らせ

7月研究会
テーマ:イベリア半島プレロマネスクと後ウマイヤ朝建築一一アーチの造り方・見せ方の横断的比較から
発表者:伊藤喜彦氏
日時:725()午後2時より
会場:東京大学本郷キャンパス法文1号館3315教室
参加費:会員は無料,一般は500

*第33回地中海学会大会
さる620日,21(土,日)の二日間,西南学院大学西南コミュニティーセンター(福岡市早良区西新6-2-92)において,第33回地中海学会大会を開催した。会員111名,一般27名が参加し,盛会のうち会期を終了した。次回は東北大学です。
6
20()
開会宣言・挨拶13 : 0013 : 10
G.W.
バークレー氏
記念講演13 : 1014: 10
「海を渡った柿右衛門」下村耕史氏
地中海トーキング14: 2516 : 30
「地中海のカフェ文化」パネリスト:稲本健二/鈴木董/山辺規子/司会:渡辺真弓各氏
授賞式16 : 3017 : 00
懇親会18 : 0020 : 00 [西南クロスプラザ]
6
21()
研究発表9 : 3012 : 20
「オイノーネーとデーイアネイラの神話の諸対応一一オウィディウス『名高き女たちの手紙』第5歌・第9歌を中心に」西井奨氏/フィリッピーノ・リッピ作カ ラファ礼拝堂装飾壁画の再解釈一一「純潔の擁護者」としての枢機卿」荒木文果氏/ベンボ『アーゾロの談論集 (1505)の哲学的議論に参加する女性たちの発言について」仲谷満寿美氏/ 16世紀イタリア宮廷における食事作法」小野真紀子氏/ピカソの《ラス・メニーナス》連作一一スペインの文化的アイデンティティをめぐる闘争」 松田健児氏
総会12:2013:10
シンポジウム13:4517:10
「キリシタン文化と地中海世界」パネリスト:川上秀人/児嶋由枝/中園成生/司会:宮下規久朗各氏
西南学院大学博物館見学自由見学(二日間)

*第33回地中海学会総会
33回総会(鈴木杜幾子議長)621(),西南学院大学西南コミュニティーセンターで下記の通り開催された。
 審議に先立ち,議決権を有する正会員589名中(2009.6.15現在)570余名の出席を得て(委任状出席を含む),総会の定足数を満たし本総会は 成立したとの宣言が議長より行われた。2008年度事業報告・決算,2009年度事業計画・予算は満場一致で原案通り承認された。2008年度事業・会計 は片倉もとこ・木島俊介両監査委員より適正妥当と認められた。(役員人事については別項で報告)
議事
一,開会宣言 二,議長選出
三,2008年度事業報告 四,2008年度会計決算
五,2008年度監査報告 六,2009年度事業計画
七,2009年度会計予算 八,役員改選
九,閉会宣言

2008
年度事業報告(2008.6.12009.5.31)
I
印制物発行
1.
『地中海学研究』XXXII発行2009.5.31発行
「知の編集空間としての初期近代イタリアの庭園:Agostino Del Riccioの理想苑構想におけるインプレーザ,エンブレム,常套主題(loci communes)」 桑木野幸司
Piranesi e il Grand Tour ;la cerchia britannica e altri committenti-viaggiatoriEwa Kawamura
「ブルゴー=デュクドレの万博講演(1878)における〈ギリシア旋法〉とその歴史的意義」安川智子
「書評 金沢百枝著『ロマネスクの宇宙一一ジローナの《天地創造の刺繍布》を読む』」安發和彰
2.
『地中海学会月報』311320号発行
3.
『地中海学研究』バック・ナンバーの頒布
II
研究会,講演会
1.
研究会(於東京大学本郷キャンパス)
「バルカン半島の中世教会建築一一ビザンチンからポスト・ビザンチン時代への様式移行」鈴木環(10.4)
「他者との邂逅一一フランス・ロマン主義時代のオリエント旅行記をめぐって」畑浩一郎(12.13)
「都市を測る一一『測量術概論』にみる中世末期アルルの測量」加藤玄(2.14)
「カサブランカからパリへ一一アルベール・ラプラドによる「歴史的街区」の形成」荒又美陽(4.11)

2.
連続講演会(ブリヂストン美術館土曜講座として:於ブリヂストン美術館)
秋期連続講演会:「地中海世界の造形文化: 聖なるものと俗なるもの」2008.11.2212.20
「人間ピカソの愛と苦悩:磔刑とエロスの往還」大高保二郎/「イタリアの都市と聖人崇拝:聖遺物・伝説・美術」金原由紀子/「イタリア都市空間の中の聖と 俗」陣内秀信/「聖なるものの形:イスタンブールのビザンティン・モザイク」益田朋幸/「古代ギリシアの聖なる乙女の図像系譜:パルテノン・フリーズの 《乙女の行列》をめぐって」篠塚千恵子
春期連続講演会「地中海世界の女性たち」
2009.4.25
5.23
「エステ家の姫君たち:ルネサンスのフエラーラ」樺山紘一/「両極の女性像:スペイン文学の場合」清水憲男/「アテーナイの元気な女性たち」桜井万里子 /「皇妃になった踊り子:ビザンツ皇妃テオドラ」高山博/「デメテル・セイレーンの影:シチリアの短篇でよむ恐るべき女性像」武谷なおみ

III 賞の授与
1.
地中海学会賞 受賞者:該当者無し
2.
地中海学会へレンド賞授賞 受賞者: 畑浩一郎 副賞30万円(星商事提供)

IV
文献,書籍,その他の収集
l.
『地中海学研究』との交換書:『西洋古典学研究』『古代文化』『古代オリエント博物館紀要』『岡山市立オリエント美術館紀要』 Journal of Ancient Civilizations
2.
その他,寄贈を受けている(月報にて発表)

V
協賛事業等
1. NHK
文化センター講座企画協力「地中海と神話・伝説の世界」
2.
同「地中海世界への誘い:世界遺産の中に歴史を探る」
3.
同「フランスと地中海:太陽の誘惑」
4.
朝日カルチャーセンター講座企画協力「地中海文化の光と影」

VI
会議
1.
常任委員会 5回開催
2.
学会誌編集委員会 3回開催
3.
月報編集委員会 6回開催
4.
大会準備委員会 1回開催
5.
電子化委員会 Eメール上で逐次開催
VII
ホームページ
URL=http://wwwsoc.nii.ac.jp/mediterr
(
国立情報学研究所のネット上)
「設立趣意書」「役員紹介」「活動のあらまし」「事業内容」「入会のご案内」「『地中海学研究』」「地中海学会月報」「地中海の旅」

VIII
大会
32回大会(於早稲田大学早稲田キャンパス)
6.21
22

IX
その他
1.
新入会員:正会員7;学生会員8;
賛助会員1団体(2009.4.7現在)
2.
学会活動電子化の調査・研究

2009
年度事業計画(2009.6.12010.5.31)
I
印刷物発行
1.
学会誌『地中海学研究』XXXIII発行
2010
5月発行予定
2.
『地中海学会月報』発行 年間約10
3.
『地中海学研究』バック・ナンバーの頒布

II
研究会,講演会
1.
研究会の開催年間約6
2.
講演会の開催ブリヂストン美術館土曜講座として秋期(10.1011.7, 計5) ・春期連続講演会開催
3.
若手交流会
III
賞の授与
1.
地中海学会賞
2.
地中海学会へレンド賞
IV
文献,書籍,その他の収集
V
協賛事業,その他
1. NHK
文化センター講座企画協力「フランスと地中海:太陽の誘惑」
2.
朝日カルチャーセンター講座企画協力「地中海文化の光と影」
VI
会議
1.
常任委員会
2.
学会誌編集委員会
3.
月報編集委員会
4.
電子化委員会
5.
その他
VII
大会
33回大会(於西南学院大学6.2021
VIII
その他
1.
賛助会員の勧誘
2.
新入会員の勧誘
3.
学会活動電子化の調査・研究
4.
展覧会の招待券の配布
5.
その他

*新役員
33回総会において下記の役員が選出された。
(
再任を含む)
会長: 青柳正規

常任委員

秋山聴

秋山学

安發和彰

飯塚正人

石井元章

石川清

太田敬子

片山千佳子

私市正年

小池寿子

込田伸夫

篠塚千恵子

島田誠

陣内秀信

末永航

鈴木国男

高山博

野口昌夫

深見奈緒子

福井千春

師尾晶子

山田幸正

山辺規子

渡辺真弓

:
なお,副会長は定款により,次回常任委員会で正式に決定するが,新会長より副会長として大高保二郎,桜井万里子両氏の名前が披露された。

*論文募集
『地中海学研究』XXXIII (2010) の論文・研究動向および書評を下記のとおり募集します。
論文・研究動向 四百字詰原稿用紙80枚以内
書評 四百字詰原稿用紙20枚以内
締切 1020()
 本誌は査読制度をとっています。投稿を希望する方は,テーマを添えて9月末日までに,事前に事務局へご連絡下さい。「執筆要項」をお送りします。














春期連続講演会「地中海世界の女性たち」講演要旨

エステ家の姫君たち
一ルネサンスのフェラーラ一

樺山紘一



 北イタリア, ポ一川の河口ちかい平原にフエラーラの町はある。現在では,ふつうの地方都市だが,かつてルネサンス時代には,隆盛をほこった都市国家であった。名目上は 教皇庁領内にあったが,独立の勢力をたもち,名だたる芸術家たちが訪れて傑作をのこした。その成功は,フエラーラ公エステ家の差配におうところが大きい が,そのうちでも同家をささえた宮廷の女性たちの力が忘れられない。
 15世紀から16世紀にかけて,イタリアは激烈な政治・軍事上の混迷をつづけていたが,当時のエステ家は,エルコレ1世から,その子であるアルフォンソ 1世の治世にあった。アルフォンソにはふたりの才媛の姉妹がいた。姉はイザベラ。マントヴァ公家に嫁いで公妃となり,北イタリアに盟友を獲得した。妹のベ アトリーチエは,ミラノの公位をつぐスフォルツァ家にはいり,勇猛果敢をもってきこえるルドヴィコ・イル・モーロの妻となった。フエラーラにとっての強敵 ミラノは,エステ家の縁戚となった。こうした政略をおもわせる結婚は,この時代にはごくありふれた戦略である。だが,ふたりはともに婚家との結束をまもり つつも,実家のフエラーラ・エステ家のため,陰に陽に情報を提供し,外交交渉の裏工作をはかったという。しばしば,実家に帰省して,額をあわせて作戦を協 議したのかもしれない。
 そればかりか,それぞれの宮廷には,エステ家とおなじく,多数の芸術家や人文学者,詩人,音楽家などが招聘されて,作品をのこし,演技を披露した。この ため,姉妹をモデルとすると想定される絵画も制作された。イザベラのデッサンをえがいたレオナルド・ダ・ヴインチもそのひとり。ほかにもマンテーニャや ティツィアーノ,アルベルティやジュリオ・ロマーノなど,枚挙にいとまがない。この時代にとって,文化もまた外交上の重要なカードだったのである。
 実際,フェラーラにもスキファノイアの名でしられる離宮があり,ここには広大な広間と壁画がしつらえられていた。ことに,画家フランチェスコ・デル・ コッサの手になるフレスコ画は,《月暦図》をはじめとする,絢爛豪華な画面を構成する。古代神話をストーリーとした宮廷の社交図。その壁面に描かれた女性 たちの優雅な振舞いと衣裳・装飾は,まさしくかの姉妹たちを想起させる。
 弟君アルフォンソ1世の再婚相手として,教皇アレクサンデル6世の娘,ルクレツィア・ボルジアがやってき

た。醜聞にまみれたボルジア家の出身だけに,ルクレツィアにも疑惑がとなえられたものの,夫をささえフエラーラのエステ家公妃として,よく役割をはたした。こうして三人の義理姉妹たちはフエラーラの力を内外に顕示する看板ともなったのである。
 ルクレツィアの息子は,エルコレ2世として位をついだ。そこに妻としてやってきたのは,フランス人である。ルネ・ド・フランス。この女性は,外国人だと いうだけではなく,数奇な運命によっても印象的だ。父はフランス国王ルイ12世。母は王妃アンヌ。このアンヌは,もともとブルターニュ公国最後の当主であ り,故国の地位を守護するために,あえてフランス国王との結婚をえらんだ。まずは,シャルル8世。その死後には,次代の王ルイと婚姻。そして,この両王は ともに,武力をもってイタリアに侵入し,そこの政治に大混乱をひきおこしたのである。この複雑怪奇な婚姻関係のなかで,アンヌの娘ルネはフェラーラにやっ てきた。よく家風にも順応し,そのよしみで多数の芸術家がルネのもとを訪れたようである。
 しかし,ルネという妃は,これまでのヱステ家の伝統とは,まるで異なった方向をさぐりもとめた。おりしも進行する宗教改革のなかで,プロテスタントに共 感をよせたのである。イタリアで抑圧のもとで逃げまわる新教徒をかくまい,偽名で隠れ家をさがしたジャン・カルヴァンをも匿ったといわれる。公妃としての 役割との間で,微妙なやりとりをはかりながら,地位の保全につとめたとのことである。
 四人の姫君が,ルネサンス・フェラーラのエステ家に暮らした。有力な隣国にむかい婚家と実家の安寧をはかりつくした二人。複雑な政治情勢を背景にもちつつ,婚姻によってエステ家の女性となり,またとない個性を発揮した二人。あわせて四人。
 ルネサンス時代には,たしかに常識をこえた超弩級の女性が,各地に出現した。フェラーラはその筆頭にくらいする。しかし,この姫君たちもフェラーラに あっては,集いくる芸術家たちとともに水入らずで,スキファノイア離宮のホールにて優雅な会話をかわし,音楽と絵画の愉楽に時をすごしたにちがいない。 500年たったいまでも,その離宮は健在である。壁画も,近年になってみごとに修復された。機会があったら,ぜひとも往時を忍ぶべく,訪れていただきた い。










春期連続講演会「地中海世界の女性たち」講演要旨

アテーナイの元気な女性たち

桜井万里子



 古代ギリシアのアテーナイにおいて女性はさまざまな面で権利を制限され,抑圧された存在であった。女性は生まれてから死ぬまで後見人(結婚までは父親, 結婚後は夫,夫と死別後は息子,離婚後は実家の父または兄弟)によって後見されなければならなかったし,経済行為についても制限が付けられていたことは, イサイオス作第10弁論10の,「・・・・というのも,法は子供と女とに,大麦1メディムノス以上の契約を交わすことをはっきりと禁じている」という記述 が伝えている。また,外出にも社会通念から制約があったことは,ヒュペレイデス作断片205「女が家から外出するのは,通りがかりのひとたちが,彼女はだ れの妻かと訊ねるのではなく,だれの母かと訊ねるようになってからであるべきだ」という記述から,うかがい知ることができる。
 古代ギリシアのポリスは市民共同体であったが,同時に市民が共に国土防衛のために戦うことを前提とする戦士共同体でもあった。したがって,戦士になれな い女性の行動が様々な面で制約されていたことは,戦士共同体であるポリスの構造のなかに位置づけるならば,論理的に説明可能である(これについては桜井 『古代ギリシアの女たち』(1992)を参照)。歴史学においてはこの構造的な意味を明確におさえておく必要がある。それを確認したうえで,しかし,沈黙 しつつ消えていった女性たちの中にも,自分の意思を貫き,しなやかにあるいはしたたかに生きた者もいたことが,史料の行間から読み取れる。本講演ではその 具体例を史料を挙げながら紹介した。
 そのなかから数例を以下に挙げておくことにする。
1)
銀行家パシオンの妻アルキッペの人生
 奴隷から身を起こし,銀行家として富を築いたパシオンに嫁ぎ,二人の息子を出産したが,おそらく20歳ほども年の違う夫を助け,銀行経営の詳細に通じて いたらしい。40歳前後で夫と死別すると,その遺言で夫の使用人フォルミオンと結婚。フォルミオンは元奴隷で,解放されて在留外国人身分であった。再婚 後,40歳過ぎて二人の息子を出産。前夫との息子を含め4人の息子に愛情を注ぐと同時に,再婚相手のフォルミオンとも良い関係を維持し,50歳前後で没し た。アルキッペは何も書き残さなかったが,その死後,パシオンとのあいだの長男アポロドロスがフォルミオン相手に父親の遺産を詐

取したと告発した。マザコンのこの息子は,母親の死後になってようやく義父フォルミオンを訴えて,長年の鬱憤を晴らそうとしたのであろう。その裁判のためのアポロドロスの弁論が現存しているため,私たちはそれに基づいてアルキッペの生涯を辿ることができるのである。
2)
高齢女性には行動の自由がある
 デモステネス第43弁論62節に次のような法の引用がある。「死者を屋内に安置するやり方は,思うとおりでよい。しかし,出棺は,安置した日の翌日,日 の出前にすること。出棺のときは,男たちが先を歩くこと,女たちは後ろを。女は,60歳よりも若い女は,又従姉妹までの女たちを除き,死者の部屋へと立ち 入ってはならない。また,墓地へと運ばれるときに死者に付き従って行ってはならず,出棺の後に又従姉妹までの女たちを除いては,死者の部屋へと立ち入って はならない。」
 この法によれば,60歳以上の女性の場合,誰でも葬列に参加できたらしい。妊娠可能年齢を過ぎ,外出の自由を得た女性たちは,暇つぶしに他人の葬列に加わり,「泣き女」の役割を演じて僅かの小遣い稼ぎをしたのかもしれない。
3)
母は強し一一クレオブレーの場合
 デモステネスの父は息子が7歳,娘が5歳のときに死亡したが,死の際で,妻クレオプレーが甥(姉妹の息子)のアフォボスと結婚し,娘(デモステネスの妹)は結婚年齢に達したならば兄弟の息子デモフォンと結婚するように指示する内容の遺言を残した。
 彼の死後,アフォボスはその家に移り住み,家産を運用し始めたが,そのやり方はクレオブレーにとって好ましくなかったらしい。クレオブレーはアフォボス の替わりに自分の姉妹フィレーの夫デモカレスを後見人に定め,一方のアフォボスはクレオプレーと結婚せずに,その家を出た。なぜアフォボスはクレオプレー と結婚しなかったのか。クレオプレーがアフォボスとの結婚を拒否したからであろう。息子デモステネスの「母は子供たちのために自ら進んで寡婦としての人生 を選んだ」 (Dem.28.26) という言葉から判断して,クレオブレーは後見人に頼らずに二人の子供を育てようと決意したのだった。









地中海学会大会 研究発表要旨

オイノーネーとデーイアネイラの神話の諸対応
一一オウィディウス『名高き女たちの手紙』第5歌・第9歌を中心に一一

西井奨



 オウィディウス『名高き女たちの手紙』(Heroides) は,ギリシア神話の登場人物による架空の書簡集という形式をとった詩作品である。とりわけ,単独書簡15編は,神話に登場する女性たちが恋愛関係にある (あった)男性に宛てて書いた手紙という内容となっており,その内容は,手紙の書き手となる女性の状況・境遇の類似性・共通性から,マンネリズムであると 評価されてきた。特に第2歌「ピュッリスからデーモポーンへの手紙」と第7歌「ディードーからアエネーアースへの手紙」の2編は,その手紙の書き手の女性 の境遇だけでなく,作品中の表現にまで対応性・類似性があることが指摘されている。また一方で,このマンネリズムさえオウィディウスによる意図的なもので あるという肯定的な評価も現れている。そこで,『名高き女たちの手紙』の作品解釈に際しては,先行作品で伝えられるギリシア神話の内容とより詳しく比較しな がら,『名高き女たちの手紙』の各手紙間において,どのような内容の描き分けがなされているかということを検討することが,必須であると思われる。またこ れにより,オウィディウスによるギリシア神話の受容と変容の一端も明らかとなるであろう。
 本発表では,『名高き女たちの手紙』単独書簡のうち,第5歌「オイノーネーからパリスへの手紙」と第9歌「デーイアネイラからへーラクレースへの手紙」を 扱った。この2編についてはこれまで対応性・類似性は指摘されておらず,背景となる神話の物語においても共通性や関連性は指摘されていない。しかし,改め てオイノーネーとデーイアネイラの神話に着目すると,両神話の共通性・関連性が浮かび上がってくる。まず,両者共に夫の正妻でありながら,夫と別離し,そ して嫉妬相手となる愛人(へレネー,イオレー)が現れることである。そして嫉妬に由来する過失から,夫を死に至らしめてしまうことである。すなわちデーイ アネイラは,媚薬と信じた毒を送ることにより,へーラクレースの死因を作ってしまい,一方オイノーネーは,トロイア戦争で負傷して矢の毒に苦しむパリスを 治せるのは自分だけであるにも関わらず,一時の感情から治療を拒絶し,彼を死なせてしまうということである。そして彼女たちは自らの過ちを悔い,後を追っ て自殺する。またへーラクレース・パリス共にヒュドラーの毒が死因となっており,前者はφαρμακον「薬()(cf. Sophocles Trachiniae 685)を与

えられることによる死, 後者はφαρμακον「薬」(cf. Apollodorus 3.12.6) を与えられないことによる死であるといえる。以上のような共通性・関連性がオイノーネーとデーイアネイラについての神話に窺える。
 『名高き女たちの手紙』第5歌・第9歌では,冒頭のdistich (Her. 5.1-2Her. 9.1-2) において,主題として夫の新たな愛人への嫉妬が述べられており,また,実際に愛人を目の当たりにしたときの苦しみ・悲しみも詳しく述べられる (Her. 5.65-74Her. 9.121-136)。しかし,彼ら・彼女らの悲劇の描写については大きな相違が認められる。第5歌ではパリスの運命(トロイア戦争での負傷とオイノーネーの治療の拒絶)が暗示される形で述べられる(Her. 5.145-156)。一方,第9歌ではデーイアネイラが手紙を執筆している最中に,知らせが来て,へーラクレースが瀕死であることを知り,自らも死を決意する描写がなされる(Her. 9.141ff.)。これらの相違は,書き手の女性の,物語中における手紙の執筆時点の違いにも由来するが,第9歌において執筆中に事件が進展するという 描写は『名高き女たちの手紙』全体からしても異例である。これは悲劇の暗示で手紙を終えている第5歌との差異化を図ったものであると考えることができる。
 また,オウィディウスによる神話伝承の改変点として,オイノーネーに予言の能力がない(ような描写がなされている)ことと,デーイアネイラに知らせが来た時,へーラクレースはすでにオイテ一山で自らを火葬に附す直前であること(Her. 9.147)が挙げられる。これらの改変は,オイノーネーとデーイアネイラの二人がそれぞれの夫の後を追って自殺するという要素を強調していると考えることができる。
 以上の考察から,『名高き女たちの手紙』第5歌・第9歌は,その背景となるオイノーネーとデーイアネイラの神話において共通性・関連性を有するが,「手紙」の 内容においては決してマンネリズムに陥っておらず,読者に対応性を意識させるような神話の改変がなされながらも,バリエーションに富んだ詩作がなされてい るといえる。











地中海学会大会 研究発表要旨

フィリッピーノ・リッピ作カラファ礼拝堂装飾壁画の再解釈
ーー「純潔の擁護者」としての枢機卿一一

荒木文果



 フィレンツェの画家フィリッピーノ・リッピは,1488年から1493年にかけてローマ,サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会にあるカラファ礼拝堂 のフレスコ画装飾を行った。注文主はオリヴィエロ・カラファ枢機卿で,彼はこの地を墓所とするために,遺体を納める小部屋を礼拝堂に隣接して設けた。そし て1511年にミネルヴァ教会で実際に行われた葬儀で,人文主義者ヤーコポ・サドレートは枢機卿の純潔の美徳について以下のように述べた。「オリヴィエロ は神聖な事柄や儀式に実によく専念し,彼が神の多大なご加護を受け,聖職者に求められる純潔に満ちた生活を送っていると誰もが考えていた。」(Rassegna storica napoletanan. s. I(1940). 326)
 従来,本礼拝堂壁画とカラファ枢機卿の個人的な事績との関係については,西壁面下段《聖トマスの異端に対する勝利》の主題に,教皇海軍提督であったカラ ファの異教徒に対する戦勝が重ねられている点のみが指摘されてきた。それに対し発表では,本礼拝堂壁画装飾の図像表現,画面構成及びミネルヴァ教会内の受 胎告知の聖母に対する信仰形態に着目し礼拝堂に描かれた各種場面と「純潔」の擁護者としてのカラファ枢機卿の像が交錯する様を明らかにすることを目的とし た。
 まず西壁面上段のフレスコ画に関して,その図像表現は《聖トマス・アクイナスの純潔の勝利》と《聖トマスの十字架の奇跡》の合成であると考えられるが, 中央前景に描かれた「犬とこども」のモチーフに注目することで,図像プログラムにおいて重要性を有していた主題は前者である点を示した。本モチーフとフィ リッピーノ周辺の画家の類例を比較すると,フィリッピーノが「犬とこども」の行為によって,物語主題を明白に提示したと考えられるのである。
 次に祭壇画《受胎告知》の図像的特異性を,物語性の希薄さという観点で捉え,希少な類例として挙げられるアントニアッツォの同主題板絵(1499)が 奇しくも同じミネルヴァ教会に設置されている事実に注目した。その板絵の注文主は,有力な宗教団体「受胎告知同信会」である。本同信会は1460年頃から 受胎告知の聖母を守護聖人に掲げ,ミネルヴァ教会を拠点に,貧しい少女たちへ結婚持参金の寄付を行っていた。アントニアッツォは,ガブリエルのあいさつに 応えずに,同信会の少女た

ちに持参金の入った袋を手渡すマリアが表された同信会のエンブレムを着想源としたがそのエンブレムはカラファ礼拝堂装飾 以前から存在し画家も注文主も目に出来たものである。同信会の規約では,持参金を受けるべき少女の絶対条件は処女であることで,そのために使用人として働 いた者に対しては,雇用主に性的束縛を強要された可能性があり,処女であるという証明が出来ないので,すべての要求を却下する旨が定められている。つまり ミネルヴァ教会における受胎告知の聖母は少女たちの純潔が守られた状態に対して恩恵を与えてくれる聖人であった。また,カラファの遺言,同信会への寄付の 記録,教皇庁式部官ブルクハルトの日記から,カラファと同信会との密接な関係が確認できた。
 つまりカラファは同信会の活動が根付いた時期に,あえて受胎告知のマリアに礼拝堂を捧げ,同信会のエンブレム同様,マリアがガブリエルのあいさつに応え るのではなく,第三者に恩恵を与える祭壇画を描かせたと考えられるのである。エンブレムにおいて,少女たちが表わされた場所に,祭壇画ではカラファが登場 する。こうして礼拝堂西壁面で純潔の美徳が称えられた聖トマスにとりなされるカラファをマリアが祝福する図は,カラフアの純潔を称える図となるのである。 さらに礼拝堂装飾全体を見直すと,女性の純潔の擁護者としてのカラファのアイデンティティが示されている点が確認できる。まず西壁面上段は,その画面右に 同信会の導きで結婚した女性が描きこまれることで,聖トマスとの血縁関係を標榜し,純潔の美徳を有していたカラファが彼女の導き手として提示されている。 次に埋葬用小部屋の天井に描かれた「ウィルギニアの物語」という,女性の純潔を称える主題の選択においても同信会を通して女性の純潔を擁護したカラファの アイデンティティが表明される。さらにヴオールトにローマで初めてシビュラが選択された点も同様の観点から説明できょう。シビュラは生涯処女を守り通した 女性たちである。
 すなわちカラファ枢機卿は,自らの純潔の美徳を同信会のエンブレムという視覚的先行例との重ねあわせを通じて効果的に示すだけでなく,礼拝堂装飾全体において女性の純潔の重要性を説くことで,女性の純潔の擁護者として自分自身を位置づけていたのである。










イスタンブル露天市事情

鶴田佳子



 イタリア,アレッシィ社のフィリップ・スタルク氏デザイン,レモン絞り器Juicy Salifをご存じだろうか? アレッシィときくとカラフルなキッチン用品を思い浮かべるが,この絞り器はメタリックな一品である。逆雫形の本体に長い脚が3本ついている形,ロケットが 発射しようとしている姿と表現したらよいだろうか。幅14cm×高さ29cm,オブジェのようなアルミニウム製のレモン絞り器である。雫の球体部分へ半分 に切ったレモンをあてて絞ると,逆雫形の表面の筋をたどって絞り汁が落ちる仕組みである。Juicy Salif20世紀を代表する傑作品として,ニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久コレクションにも認定されている。
 インターネットで「レモン絞り器」を検索すると,このJuicy Salifを筆頭に幾つかの商品が出てくるが,イスタンブルの露天商が売っていた画期的な代物には出会えなかった。イスタンブルはご存知の通り,アジアと ヨーロッパにまたがる都市である。二つの大陸の聞にはボスポラス海峡があり,二つの橋と海上を行き交う定期船がアジアとヨーロッパを繋いでいる。過密都市 イスタンブルでは交通渋滞が日常茶飯であり,車移動よりも船を利用した方が早くて便利な場合も多い。昨年の夏,イスタンブルに数日滞在した折,この定期船 に毎日お世話になった。対岸へ,主要な港間の乗船時間は15~20分程度である。その聞にチャイ(トルコ紅茶)売りが船内を売り歩くのだが,時折,ボール ペンや財布を売る行商人が現れる。昨夏はレモン絞り器売りによく遭遇した。船上での実演販売である。商品はプラスチック製で,サイズは直径約3cm,長さ 8cm程度の筒状の形態で片側の切り口はギザギザに加工されており,反対側は蓋が付いている。このギザギザの部分をレモンの中心部へ,芯をすっぽり包み込 むようなイメージでねじ込んでいく。器具がレモンの中におおよそ入り切ったところで,レモンをギュッと絞ると汁が器具の中に溜まる仕組みになっている。蓋 がついている側が絞った汁の注ぎ口である。少し絞った後, レモンをとっておきたい時には,この器具をレモンに刺したまま蓋をして冷蔵庫に保管すればよい。1100円程度のためか実演場所から離れた席からも声が かかり,売れていた。
 このように商品を持参し,移動しながら売り歩く行商人もいれば,定期市でテントを張って店聞きする露天商もいる。後者の露天商は,定期市開催地の管轄行政機関

と小売商管理組合へ申請,登録後,営業可能となる。現在,市内350ヶ所以上の定期市がある。露天商たちは曜日ごとに市 を渡り歩き,店開きをしているのである。定期市の開催場所としては市場施設や駐車場を利用する場合もあるが,多くは住宅街の街路を週に1日,車両規制し, テントを張る露店タイプの露天市である。野菜やチーズ,オリーブ,乾物といった食料品に加え,衣料品や食器などの日用品がテントの下に並ぶのである。活気 に溢れた市場空間を眺めながら歩くだけでも楽しい。
 しかし,昨今,近隣住民からの苦情や衛生管理上の観点から露天市に変化が現れている。市の立つ街路に面して暮らす住民には,近場で買い物ができるという 利便性よりも,週に一度,家の前まで車の乗り入れができないことや騒音の方が関心事となっている。平日の昼間は仕事のため買い物をすることができず,週末 にスーパーマーケットでまとめ買いをするといった生活を送っている家庭もあり,露天市の必要性が問われる。区役所や小売商管理組合では,これらの問題を解 消し,露天市を継続すべく,様々な試みを行っている。例えば,コンパクトに店開きできる露店システムや商品の衛生管理ができるショーケースの考案,買い物 客が通行しやすいように配慮した陳列台の張り出し規制,周辺住民のアクセスを考慮した住宅門扉前のスペース確保などである。また,開催場所である街路の変 更や,新たな市場施設建設など移転事例もでてきた。市場施設には屋根と柱のみの簡単な構造から,常設店舗が連なるものまで,幾つかのタイプがみられ元々の 露天市は青空の下,白いテント,色とりどりの商品が並び,色鮮やかな景色を描いているのに対し,雨風を凌ぐために建設された市場施設は,光も同時に遮り, 殺風景な空間になっている。残念である。一方で,黒海に面するカスタモヌ県からの商品のみを扱う市やオーガニック商品のみを扱う市(2006年開設)な ど,商品の産地や品質にこだわった定期市が登場し,定期市は露天市を中心に,変化しながらも生活に根付いたものとして継続していく兆しもみられる。
 スーパーマーケットやショッピングモールには洗練されたデザインのキッチン用品や多様な食材が並んでいるが,露店で売られる商品になぜか心惹かれる。週 に一度の祭りのような賑わいに惹かれ,商品に手がのびるのかもしれない。露天商達にはこの先も言葉巧みな口上を続け,街を活気づけて欲しいと願ってやまな い。










自著を語る59
『変革期のエジプ卜社会一一マイグレーション・就業・貧困』
書籍工房早山 20092月 216頁 5300+

岩崎 えり奈



 カイロといえば,イスラミック・カイロや19世紀以降の都市計画によりつくられた近代地区が思い浮かぶかもしれない。しかし,実際には,カイロの大部分 を占めているのはアシュワウィーヤとよばれる都市下層の人々が住む住宅街である。アシュワウィーヤとは,アラビア語でごちゃごちゃな状態を意味し,法律で 禁じられている農地の宅地転用によって住宅建設がなされたことから,英語で「不法」定住地として訳される。
 本著で取り上げるこつの調査地もまた,こうしたアシュワウィーヤである。いずれも,産油国への出稼ぎ景気,門戸開放政策がはじまった1970年代以降に急速に形成されたアパート群がひしめく新興住宅街である。
 この二つの地区において,一橋大学大学院経済学研究科(代表:加藤博教授)とエジプト中央統計局との共同で最初の世帯調査が2003年に実施された。筆 者はそれまでチュニジアをフィールドにしていたが,その実施にあたり加藤博先生が声をかけてくださり,世帯調査に参加するようになった。本著はこの世帯調 査から得られたデータにもとづき執筆した博士論文を加筆修正したものである。
 本著は,マイグレーション,就業,貧困の三つをキーワードとし,序,第1章,第2章,第3章,結から構成されている。第1章ではエジプト全体での就業と 所得分布の状況を扱い,第2章と第3章では世帯調査データに依拠して,上記の二つの調査地における労働移動と就業,貧困の諸相を取り上げた。その際,農村 出身者の行動をたどる形で,できるかぎりミクロな観点から人々の暮らしぶりを描くように心がけた。どのように農村から調査地に移住し,住まいを構え,働き 口と所得を得て,消費を行っているかなどである。
 農村出身者を事例対象としたのは,貧しい農村と富める都市というエジプトの社会構成を最もよくあらわしている存在だと考えられたからである。近年,中東 の政治情勢に関する情報は格段に増えた。また,中東の歴史や文化についてはかなりの研究の蓄積が日本にはある。一方,中東住民の社会経済生活に関する研究 はいまだ限られている。そのため,本著のキーワードに即して言えば,マイグレーション=農村から大カイロへの労働移動であり,都市の貧困=農村から押し出 されて都市にやってきた農村出身者の問題だというイメージがいまだ根強い。
 しかしながら,調査地に住む農村出身者に関するかぎり,彼らの多くは学校教育や徴兵を終えた後に政府の雇

用保障制度を利用して公務員になるべく大カイロにやってきた人々であった。したがって,従来の研究では農村側のプッシュ要因のみが強調されてきたが,農村から大カイロへの労働移動には政府雇用が重要なプル要因として作用してきた。
 また,調査地の貧困は農村出身者に限定される問題ではなく,住宅へのアクセスや資産格差などが絡む多面的な問題である。調査世帯の所得水準は一部の自営 業者層をのぞけば押しなべて低い。つまり,資産を元手に起業しないかぎり,所得向上は難しい状況にある。そうした状況ゆえ,貧困とはいかに消費を切り詰め るかという生活防衛の問題である。
 以上の事実にたどりつくまでには時間がかかった。住民にとってはごく当たり前の事実だが,当初,調査地では所得水準に差がないことや公務員が多いことな どはデータの質が悪いせいか,調査地の住民が単に同質的だからなのかと疑い,データをいじくりまわした。しかし,さらにデータを整理し,大カイロ全体での 所得状況について調べ,調査員や住民の話を聞くことで,それが厳しい雇用情勢などと結びつく問題であることがようやく理解できた。
 このように世帯調査にもとづく事例研究には,データの信憑性や調査地の位置づけなどの問題が常につきまとう。しかし,エジプトのような切り口のつかみに くい社会を対象にする際には適している方法だと思われる。個別具体的な小さな差を積み重ねていくことで一定の傾向がみえてくるからである。そして何より も,細かな事実を組み立てて形にしていく楽しさと,住民から生の話を聞く楽しさとが同時に味わえる。
 目下の課題は本著で取り上げることのできなかった農村についてまとめることだが数年後に調査地を再調査し,そこでの経済生活の変化を展望したいと思って いる。住民を取り巻く経済環境は大きくかわりつつある。近年,公務員としての職を得るのは困難になった。公務員になれたとしても安月給で,短期契約職であ る。にもかかわらず,意識の面では,調査地の住民は老若男女を問わず公務員志向が強い。こうした意識と現実の経済生活のずれがどうなっていくのかを定点観 察していきたい。
 以上,本著は中東の社会を社会科学的に分析する枠組みを模索するためのほんの端緒にすぎないが,エジプトや中東の社会に興味をいだく多くの方の目に触れて,ご批評を賜れば幸いである。






図書ニュース

荒井献

『初期キリスト教の霊性一一宣教・女性・異端』岩波書店 2009

有田忠郎

『風』サン=ジョン・ペレス著翻訳・解題 書肆山田2006

石井元章監訳・木村太郎訳

『ヴェネツィアのパトロネージ一一ベツリーニ,ティツィアーノの絵画とフランチェスコ修道会』ローナ・ゴッフェン著三元社2009

大野陽子

『ヴァラッロのサクロ・モンテ一一北イタリアの巡礼地の生成と変貌』三元社2008

岡田泰介

『東地中海世界のなかの古代ギリシア』山川出版2008

片倉もとこ

『イスラームの世界観一一「移動文化」を考える』岩波現代文庫2008年『ゆとろぎ一一イスラームの豊かな時間』岩波書店2008

桂芳樹訳

『霊魂離脱とグノーシス』J.P.クリアーノ著岩波書店2009

金沢百枝

『ロマネスクの宇宙一一ジローナの《天地創造の刺繍布》を読む』東京大学出版会2008

北村紀久子

『イタリアの風に吹かれて一一ペルージアの青い空と石の音』文芸社2008

佐島隆

『「アレヴイー・ベクタシ」集団のエスニシティと社会的・文化的秩序の変化と持続一一トルコ・ヨー ロッパにおけるトルコ系集団を中心として』編著大阪国際大学2007年「トルコ系移民(アレヴィー)の遺体処理・遺体搬送一一日系移民との対比のなかで」 『異文化コミュニケーション研究一一探求・発見・教育』大阪国際大学国際コミュニケーション学科2007

下重暁子

『持たない暮らし』中経出版2008
『砂漠に風が棲んでいる』角川学芸出版2008

白崎容子

『トスカ一一一イタリア的愛の結末』ありな書房2008年『ローマ百景IM.プラーツ著共訳ありな書房2009

武田好訳

『マキァヴエッリの生涯その微笑の謎』白水社2007

藤井慈子

『ガラスのなかの古代ローマ』春風社2009

豊田浩志

『歴史家の散歩道』共著上智大学出版2008

深井晃子

『ファッションから名画を読む』PHP研究所2009

深沢克己訳

『「啓蒙の世紀」のフリーメイソン』P.E.ポルベール著山川出版社2009

福本直之訳

『フランス中世史年表』白水社2007

松原真夫

『親日の国トルコ歴史の国トルコ』東京図書出版会2006

横山昭正

『視線のロマネスク一一スタンダール・メリメ・フロベール』渓水社2009