地中海学会月報

MONTHLY BULLETIN

学会からのお知らせ

12月研究会

下記の通り研究会を開催します。
テーマ: 神話の語りと叙事詩の性質
──オウィディウス『変身物語』における統一性をめぐる考察
発表者: 河島 思朗氏
日 時: 12月19日(土)午後2時より
会 場: 東京大学本郷キャンパス法文1号館2階 215教室
参加費: 会員は無料,一般は500円

オウィディウス『変身物語』はおよそ250編の様様な神話を語る物語群である。小さな物語の寄せ集めでありながら,叙事詩であることをどのように理解すべきか。『変身物語』研究のひとつの重要な焦点は,この「矛盾」に向けられている。本発表は,この性質を矛盾とはとらえずに,物語群でありながら統一性を有する叙事詩であることを論じる。

企画協力講座

NHK文化センター青山教室において企画協力講座が開催されます。いずれも月曜日,午後1時30分~3時(90分),全6回。NHK文化センターへの入会が必要,1回のみの受講はできません。詳細は下記へ直接お問い合わせ下さい。
テーマ:地中海の風景
11月2日 ヴェネツィアを支えたテッラフェルマとラグーナ 陣内秀信氏
11月16日 トルコ・エーゲ海地方の都市と市場の風景 鶴田佳子氏
1月18日 キプロス島の攻防 ギリシア・ローマから十字軍まで 倉橋良伸氏
2月1日 フォンテーヌブロー宮殿で花開いた美術 田中久美子氏
2月29日 ダリの地中海 岡村多佳夫氏
3月21日 人間像を通して見た古代ギリシアの風景 篠塚千恵子氏
会 場:NHK文化センター青山教室
(東京都港区南青山1-1-1 新青山ビル西館4階 東京メトロ青山一丁目駅直結)
受講料: 19,440円,プリント代324円(税込)
入会金: 5,400円(税込,3年間有効,70歳以上無料)
申し込み・問い合わせ先:NHK文化センター青山教室 03-3475-1151

地中海学会賞受賞挨拶
武谷 なおみ

授賞式に向かう札幌行きの飛行機の中で,日常を離れて天空を飛んでいたからでしょうか,ふと耳元に今は亡き恩師の声が聞こえてきました。ルネサンス期の哲学の専門家で,京大大学院の指導教授だった清水純一先生が修論の試問の日にこう言われたのです。「ひとつ聞いておきたいことがある。この先ずっとシチリア作家の研究をつづけるつもり? イタリア本土には偉大な作家が大勢いるだろう。古典とまでは言わないが,視野を広くもつよう心がけなさい」。

強情っぱりな性格ゆえか,「シチリアから世界を見よう」という逆の思いがこのとき胸に根づきました。

何年かたって博士課程を修了する日,清水先生は弟子の頑固さにあきれつつ,二つの貴重なアドバイスを下さいました。その(1)「地中海学会に入るといい。新しい学際的な学会で,古代ギリシアやアラブの研究者とも交われるから,シチリアがテーマなら好都合だ」。その(2)「優秀な私の友人が長いイタリア生活を終えて東京に戻ってきた。女性だし,同じ関西の出身だし,きみとはきっと馬が合う。今後は相談にのってもらいなさい」。

それが後の作家の須賀敦子さんでした。当時の須賀さんはまだ無名で,時間がたっぷりあり,出会うと翻訳の良し悪しや作家談義に花が咲きました。でも須賀さんでさえ,事あるごとに言われました。「シチリアの文学はやっぱりマイナーよ」。40歳になった私はもうひるみません。「シチリアは人類の記憶の保管所のような島。星の数ほど作家が生まれます」と主張して,また20年以上が過ぎました。

この度「地中海学会賞」授与の光栄に浴した脇功先生との共訳『ランペドゥーザ全小説』(作品社,2014年)と,4年前に出版した武谷編訳『短篇で読むシチリア』(みすず書房)は,シチリアへのそんな想いの投影です。「明治以来,イタリア中北部を中心に展開してきた日本におけるイタリア文学研究に一石を投じるものとして高く評価できる」という推薦文に恐縮しつつ,長い地味な研究に「市民権」をいただいたような喜びがこみあげました。

では,シチリア文学のどこに魅力を感じたのか,理由を述べさせていただきます。まずなによりシチリアは,古来,人を執筆に駆り立てる特異な島です。ひとつ目巨人のポリュペモスが羊を育てチーズを作る洞窟を,詩人ホメロスがまるで見てきたかのように詠った場所。悪政の限りを尽くし,豊饒の女神ケレスの像を神殿から盗む罪まで犯したシチリア総督を弾劾裁判にかけるため,キケロが現地に赴いて,証拠固めに奔走した場所。また,メッカ巡礼の帰りに船が難破して,キリスト教徒の王に救われた12世紀の旅人イブン・ジュバイルが,スペインに戻る船を待ちながら,シチリア王国設立後も離散せずに留まったイスラム教徒の生活を丹念に記録した場所。作者の想像力と判断力と表現力をフル回転させるこの島を,私は文学のトポス・シチリアと呼んでいます。

近代に入り,シチリアがイタリア王国の一部となってからは,世界文学史に名を残す小説家が輩出しました。『短篇で読むシチリア』には,7人の作家の14の作品を収めています。イタリア統一の是非を問うヴェリズモ作家のヴェルガとデ・ロベルト,社会における見せかけの真実を暴き出すピランデッロ,官能性と諧謔を織り交ぜたブラック・ユーモアの作家ブランカーティ,社会変革を訴えつづけたヴィットリーニ,生前に一冊の本の出版も叶わず失意のうちに世を去ったランペドゥーザ,マフィアを初めて文学の俎上にのせたシャーシャ。それぞれの作品に「貴族」「教会」「戦争」「移民」「不倫」「マフィア」など,シチリア固有のテーマが潜んでいます。

『ランペドウーザ全小説』では,シチリア屈指の公爵家に属すジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーザがノルマン人の上陸から彼の時代に至るまで,およそ900年間の一族の歴史を綴った回想録「幼年時代の想い出」の翻訳に予想外の時間を費やしました。年表や系譜と格闘する毎日でした。壮大な屋敷の間取りや家具,別荘に向かう長い旅,どれもが『山猫』のデッサンをなしています。母方の別荘には,ナポレオンの妹婿ミュラがイタリア南部を支配した時期,ナポリから逃亡してきた国王フェルディナンド4世と王妃のマリア・カロリーナをもてなした部屋が寝台ごと残っておりました。

7人の作家が7人7様に語るシチリア。21世紀の今はことさらに,シチリアの重要さが身にしみます。ジュゼッペの父方の祖先が1667年にスペイン国王から拝領し,19世紀半ばに譲渡したランペドゥーザ島。周知のようにその海岸に,ここ数年,北アフリカからの難民が粗末な舟で命からがら押し寄せてきています。最初の救出作戦は“Mare nostrum”と名づけられました。3000年の時が積み重なるシチリアの文学から人類が生き延びる知恵を読み解きたい。他分野の方々を含め,今後ますます地中海学会の皆さまの助けが必要です。「葡萄酒色の海」をわたってゆくために。

地中海学会ヘレンド賞受賞によせて
水野 千依

このたびは,地中海学会ヘレンド賞という大変栄誉ある賞をいただき,心よりお礼申し上げます。

他分野の研究者が集う地中海学会は,私にとっては,豊かな知的交流とともに,通常の学会活動にとどまらない懐の深い人と人との関係を教えてくれる場で,地中海文化の豊饒さ,そこに生きてきた人間の営みの深さに多元的にふれ,多くを学ばせていただいてまいりました。その学会より,このような身に余る賞を賜りましたことは光栄の至りであり,ヘレンドの日本総代理店・星商事株式会社さま,推薦や審査に関わってくださいました先生方,そして関係者の皆様方には深く感謝いたします。

北海道で開催された授賞式では,副賞としてヘレンド社の記念磁器皿『地中海の庭』をいただきました。周りを縁取る精巧な透かし彫りは,色鮮やかな花々の漂わせる香りを伝えるかのように韻律に富んだ網目をなし,お皿には,リボンでまとめられた繊細な花綱が流麗な曲線を描き,中央近くでさえずる小鳥がいっそう生彩さを添えています。まさに地中海の庭の夢幻のごとく麗しい絵付けを目にするたびに,喜びが湧きあがります。

今回,受賞いたしました『キリストの顔──イメージ人類学序説』は,キリスト教文化におけるイメージのあり方を歴史人類学的視点からとらえ直そうと試みたもので,2014年筑摩書房より選書という形で出版いたしました。2011年に刊行した初めての単著『イメージの地層──ルネサンスの図像文化における奇跡・分身・予言』(名古屋大学出版会)で試みた方法論をふまえつつも,とくにキリストの顔の表象に焦点をあてました。

キリスト教において,神の御顔,あるいは受肉した子キリストの御顔を観ることはいかなる意味をもつのか──。原罪を犯した人類は,楽園を追われ,神との類似性を失うとともに,神の御顔を観ることも現世にあってはかなわないものとなりました。顔と顔を合わせて(facie ad faciem)神を仰ぐことは,死後に救済された魂だけが味わうことのできる至福の状態なのです。失われた神の御顔の記憶と,来るべき対面の期待とのあいだで,その面影を偲ぶよすがとなるのが,人間の肉に化身した神の子キリストを描いたイメージにほかなりません。しかし,そもそもキリスト教は,偶像の制作も崇拝も禁じるユダヤ教を母胎として誕生しました。偶像崇拝の禁忌を前に,神の子キリストの肖像がいかに生成したのか。神によりこの世に送られたキリストは,かつて人として地上に存在したのだとしても,存命中の彼の顔かたちを写したイメージは存在せず,テキストにも描写はありません。昇天後,その身体は失われ,この世の終わりに再臨する時まで,人はその姿を知りえない。とすれば「キリストの顔」を描いたイメージとは,実在するものの形を写し取ったものというより,むしろ絶対的に失われたもの,「不在」そのものを表象したもの,いいかえるなら,オリジナルなき表象,「不在」それ自体の現前化といえるかもしれません。つまり,数々のキリストの肖像の背後には,現世の人間の目には捉えがたい神的存在を形にする,目にしえない,見てはならないものを見えるようにするための論理と努力の歴史が横たわっているのです。

本書ではこの問題を,東方のマンディリオン,西方のヴェロニカといった聖顔布をはじめ,神の被造物である人間=芸術家の手を介さずに,キリスト自身の身体の痕跡に由来するという伝承をそなえた特権的(「アケイロポイエトス(人の手によらない)」)イメージを中心に,聖なるものの不可視性や表象不可能性に挑んだ芸術家たちの多岐にわたる営みや演出を論じました。

学会誌『地中海学研究』最新号では,森雅彦先生が本書に関する書評を寄せてくださいました。この場を借りて,お礼申し上げます。

この研究を経て,現在は,前著で試みた中世からルネサンスにかけてのトスカーナ地方の聖母像崇敬に立ち戻り,聖像を用いた宗教行列や神聖空間の形成と複製,聖像譚・聖遺物譚の類型分析,聖なるものの地政学といった問題を再検討し,「聖像儀礼の人類学」としてより包括的な形で再考する書を準備しております。さらに,キリスト教文化圏を超えて,異文化間の比較・対比を通して問題を開いていく必要も強く感じおり,人類学の側から非西洋圏のイメージや記憶の問題を論じた書物の翻訳も進めております。

人文科学系の存続が危ぶまれる昨今にあって,研究を奨励いただけることは誠にありがたいことと感じております。今回の受賞を励みとして,今後,こうした研究に向けて一層真摯に精進していく所存です。多様な宗教や文化の比較という試みにとって,地中海学会は格好の対話の場となるにちがいなく,今後も,諸先生方,会員の皆様のご教示・ご指導を賜れますこと,心よりお願い申し上げます。

Un éloge des cambrésiens
山本 成生

ドキュメンタリーや実話に基づく作品で何らかの賞を受けた映画監督ならば,その受賞スピーチにおいて,題材となった実在の人々への感謝を忘れることはないであろう。指導教官や研究上お世話になった方々への謝辞は他所である程度述べさせていただいたので,ここでは本年度のヘレンド賞の対象となった拙著『聖歌隊の誕生』(知泉書館,2013年)の舞台である,カンブレーについて触れたいと思う。

私がカンブレー大聖堂を検討対象に選んだことに,研究上の戦略はほとんどなかったと思う。そこはギヨーム・デュファイやヨハンネス・ティンクトーリス,ヤーコブ・オブレフトといった中世末期からルネサンスにかけての著名な音楽家が多数在籍していた「重要な音楽拠点」であった──というのが音楽史研究における定説であり,その検証は拙著の枢要なテーマとなるが,不器用な私が最初からそこまで考えていた訳ではなかった。むしろ,カンブレーの歴史自体の魅力が,私を研究の世界へ導いていったといえる。

フランス語圏でありながら,久しく神聖ローマ帝国内に位置していた都市カンブレーの「境界性」は,11世紀のコミューン運動,16世紀のイタリア戦争(「カンブレー同盟戦争」や「貴婦人の和議」),そして20世紀の第一次世界大戦(「カンブレーの戦い」で戦車が初めて本格的に導入された)など,西洋史の要所要所でその名を刻む。「人」についても同様である。「三身分論」の重要な提唱者の一人であるジェラール・ド・カンブレー,大シスマ期に最も影響力をもった教会人であり,文化史的には「中世の知識人」と「ユマニスト」を繋ぐ存在ともいえるピエール・ダイイ(樺山ゼミで「ダイイは面白いけど,刊行されているものが少ないんですよね」と言われ,何故か誇らしくなったしまった),『テレマックの冒険』や女子教育論で著名なフランソワ・フェヌロン,フランス航空界の父であるルイ・ブレリオなど──決して多くはないが──西洋史で欠くことのできない傑士が,この小さな町から生まれ,あるいはそこに関わった。少し大げさに言わせてもらえば,私にとってカンブレーは,コンパクトな歴史教科書であり,全体と局所を繋ぐ結節点であった。

そのなかでも魅力的であったのは,建築物としてのカンブレー大聖堂である。現在のカンブレーに,この教会の遺構はまったく残っていない。フランス革命期にいくつかの不幸が重なり,19世紀初頭にはほとんど廃墟と化してしまったからである。しかしながら,『画帖』で有名な13世紀のヴィラール・ド・オヌクールやヤン・ブラウらによる16世紀の都市鳥瞰図,あるいはルイ14世の従軍画家として著名なアダム・フランス・ファン・デル・ミューレンなどによって多くの図像が残されており,さらにジャック・ティボーを始めとする建築史研究の成果から,その形状をある程度正確にむことができた。まだロマネスク期の影響を受けているため,一塔しかない鐘楼と小ぶりなティンパヌムからなる正面,それへの反発からおそらく14世紀以降に加えられた,鐘楼と同程度(約40メートル)の高さをもつ派手な八角形の尖塔,やはりロマネスク的な低くシンプルな身廊,そして放射状礼拝堂と飛び梁・扶壁がダイナミックに展開するいかにもゴシック的な後陣,これら複数の要素が小さな空間に凝縮するこの司教座聖堂は,あたかもカンブレーの歴史そのものであった。

さらに,この教会はその姿を消し去る代わりに,貴重な記録を残してくれた。詳述はできないが,この教会の参事会関連の史料群は,その量と質において,フランスの他の教会のそれを遥かに凌駕し,15世紀後半になれば,聖歌隊のほぼ毎週の動向を探ることができる程である(音楽史に限らず,例えばユーグ・ヌヴーのような精密な経済史研究も,カンブレー以外の素材では困難であったと思われる)。未刊行の古文書を読む作業は確かに骨が折れたが,そこではフランソワドミニク・トランシャンという人物の援けを得た。18世紀の礼拝堂付き司祭で,参事会図書室の司書をしていた彼は,その生涯を膨大な古文書の整理とそれに基づく地方史的著作の執筆に費やした。その記録は私にとって欠くことのできない道標であった(トランシャンは革命期に「聖職者民事基本法」への宣誓を拒否し,断頭台の露と消える)。

前述の通り,第一次世界大戦の際に戦車戦の場となったこともあり,現在のカンブレーに往時の面影はほとんどない。「中世の町並み」を売りにする著名な観光地の歴史なり文化を研究している人を,羨しく思う時もたまにある。しかし,「音楽」という目に見えないものの歴史的なあり方を探求する私にとって,カンブレーは確かに,ひとつのprédestinéであったのかもしれない。末尾ながら,このカンブレーとそこに関わったすべての人々に,感謝の意を捧げたい。

フィレンツェ遷都150周年記念展とフィレンツェ大学の恩師のこと
會田 涼子

先の3月,留学していたフィレンツェへ2年ぶりに訪れる機会を得た。2015年は,1861年のイタリア国家統一後にフィレンツェが一時的に首都となった1865年から150周年にあたる年で,フィレンツェ国立文書館では首都期の都市改造に関する展覧会「Una Capitale e ilsuo architetto(あるひとつの首都と建築家)」が開催されていた。久しぶりの私の訪伊を機に,留学時の恩師であるG.コルサーニ教授がこの展覧会に誘ってくださり,一緒に見に行くことになった。

師は,2年前にフィレンツェ大学建築学科(2013年に学部から学科へ改組)の名誉教授となられたのち,昨年の11月にその任を辞された。師は,近代の都市史をご専門とされ,フィレンツェの都市改造に関しても多くの論考を発表されている。

文書館へのバスの路線が変わっていて,1時間も早く約束の場所に着いたので,しばらく文書館のまわりをうろついた。現在,フィレンツェ国立文書館のたっている場所は,まさにフィレンツェが一時的な首都化を契機として改造の対象となった場所で,建築家ジュゼッペ・ポッジが作成したマスタープランの一部である。クローチェ門を残して周囲を楕円形の広場とし,市壁跡を環状道路とする計画で,その道路で囲まれたアルノ川側の三角形の敷地を緑地広場(と仮に名づけてみる)とし,そこに矩形平面の公共浴場を配置するという計画である。最終的には,クローチェ門周辺と環状道路の整備にとどまり,皮肉にも,未実施の広場計画の敷地には,その計画案を収めた文書館がたっているのである。

約束の時間になると,師は満面の笑みで私の前に現れた。展覧会は,多くの都市設計図や個々の建築図面,都市図などの史料が充実したもので,都市改造の裏舞台であるインフラ整備に関するものも多く展示されていた。また,フィレンツェ遷都時の政治的背景を物語る九月協定に関する史料や,イタリア国家統一の文化的複雑性を示すサヴォイア王家のための調度品や衣服が展示されるなど,さまざまな視点から首都フィレンツェを概観するものであった。

師は,展示のひとつひとつを解説してくださり,あたかも都市史の講義が始まったかのようであった。私の質問の応酬にも丁寧に応えてくださり,その真摯さと造詣に,尊敬の念を抱かいないではいられなかった。

展覧会を見終えた後,家での昼食に誘ってくださったので,一緒にバス停へ向かうことになった。その途中,一緒に街を歩くのは絶好の機会とばかり,あれはなんだ,これはなんだとまた質問し続けていると,師は笑って,「Misteri sono tanti…(不思議は沢山あるものだよ)」と目を細めた。その言葉がとても印象的で,歴史の厚みを垣間見た思いだった。

師は,サン・ロレンツォ地区にある15世紀建造のパラッツォの最上階に居を構え,ドミンゴ出身で建築家である奥様と2人暮らしをされている。そこは,3つに分節された細長い平面形をしていて,真中と奥の部屋がそれぞれ中庭に面している。屋上には東西に抜けた屋根付きの小さなテラスが付属している。

昼食の用意がなされたダイニングルームには,あたたかい柔らかな光が満ちていて,唯一,本が置かれず,額に入った古地図や絵画,陶器の皿などが壁に掛けられていた。テーブルセットは装飾のない木製のアンティークのもので,椅子の座面は真新しいグレーの布地が打ちなおされ,そしてテーブルの上には萌葱色の麻のマット,銀のナイフ,ガラスの燭台,小さな植物が「正しい」位置に置かれ,葡萄をかたどったグラスが光を浴びてさらさらと輝いていた。昼食は奥様が,日本ではあまり食べないでしょう,といって淡い緑色のアーティチョークのリゾットを出してくださった。

応接間は別の中庭に面していて,仄明るく,チェントロ(中心地)とは思えないほどの静けさであった。窓には,スチール製のサッシがとりつけられ,パラッツォの分厚い壁に鋭いエッジが効いていて,その空間に柔らかな緊張感を保たせていた。フィレンツェは高密な居住形態でありながら,このような個々の快適な空間が確保されていることが,現代においても歴史的都市空間に住み続けることができる理由のひとつなのだろう,そして,この快適で美しい空間は,生活のすみずみにおよぶ日々の微細な調整によって裏付けられているのだと,私は思った。

研究の折にまた来ます,といって別れを告げると,師は「Siamo sempre qua(わたしたちはいつもここにいますから)」といって,また満面の笑みで見送ってくれた。

自分の不勉強さを再認識しながらも,師に再会できた喜びを抱いて表通りに出ると,再び,騒々しい都市のざわめきが戻ってきた。フィレンツェという場所は,理不尽な障害物競走を強いられることが多々あるが(これはイタリア全土で統一している!)こうした「再びの」出会いによって,楽観的にも,また気を取り直して頑張ろう,という気にさせられるのだ。

古代ギリシア人のネットワーク
長谷川 岳男

1980年代後半以降,欧米では「地中海」を冠した人文・社会科学系の雑誌や書籍の増大が著しい。背景として1995年に締結された欧州・地中海パートナーシップ(バルセロナ・プロセス),そしてその発展形である欧州地中海連合(2008年)の動きに現れる地中海への関心の高まりがあろう。これは地中海を各地域を繋ぐ場と見なし,それを利用して経済的な発展をもくろんだことから始まったのであろうが,近年この面は難民の密航,テロリズムの拡散,ギリシアの経済問題などの負の問題を提起していることは周知のところである。

一方歴史学では,古くから地中海を各地域が繋がる場として重視しており,ピレンヌを経てブローデル,ゴイテインによりその意義は決定的になった。さらに近年のこの海への関心の高まりを受けて,古代・中世に限ってもアブラフィア,パーセルとホールデンなどにより研究され,ネットワークの場としての議論が盛んになされている。古代史研究では,特にパーセルとホールデンにより2000年に出版された“Corrupting Sea”が学界に大きな衝撃を与えた。この著作で彼らはローマ帝国などの権力の側からこの世界を捉えるのではなく,環境などにより各地でそれぞれ独自の世界が展開しており,それらの小さな地域同士が集まって地中海世界が成立したものと見なし,その特徴を‘mobility, connectivity, decentring’と考える。この認識の是非をめぐっては盛んに議論されているが,この想定から近年研究者により注目されている,古代ギリシア人のネットワークが思い浮かぶので,簡単に紹介してみよう。

前190年代に入ると,シリアのアンティオコス3世がエーゲ海東岸へ積極的な進出を展開した。当時シリアの脅威を感じたこの地域のランプサコスは,ローマに援助を求めることを決め,そのための使節を派遣することにした。しかしそれに伴う危険や経費に恐れをなして,この役を引き受ける者が出ないなか,ヘゲシアスなる人物がその任を引き受け,成功した功績を称える碑が現存している(SIG³ 519)。ここで注目すべきはどのようにして目的を果たしたかである。彼はまずエーゲ海で活動しているローマ艦隊の司令官と面会した。その折,ローマ人とランプサコス人がトロイアを介して血縁関係にあるとの理由で援助を求めたのである。ロムルスとレムスの祖先が,トロイア王家のアエネアスという縁起話を,トロイアの地に存在するランプサコスの地理的状況と結びつけたものであった。そこで承認を得た彼は,次にローマの元老院に陳情に行くことになるのであるが,ローマと何のコネもないため,当時ローマと友好関係にあったマッサリア(現マルセイユ)を利用することにする。ここはランプサコスとともに,エーゲ海東岸のフォカイアを母市としていたからである。そこでマッサリアに行き,そこの評議会で同じ母市を有する兄弟の関係であるとの理由で援助を求め,マッサリアの使節とともにローマに赴き,元老院への謁見を実現したのであった。

エーゲ海東岸からフランス南岸,そしてローマとヘゲシアスの移動距離の長さを考えるならば,人々を繋ぐ場としての地中海の意義が見えてくる。この事例に限らず,前3世紀末にギリシア本土中部ドーリス地方のキュティニオンは,倒壊した壁の修復の資金援助を求める使節をエーゲ海対岸に派遣し,現実としてはギリシア人であるか疑わしいにもかかわらず,ドーリス系を称していたリュキア地方のクサントスで,自分たちがドーリス人の故郷であることを根拠に,彼らから少額ながら援助を得ることに成功した。あるいは同じ頃,エーゲ海東岸のマイアンドロス河畔のマグネシアは,アフロディテの示現を受けてこの女神を祀る競技会と,そのポリスを神聖にして不可侵であることを,血縁関係や過去の恩義などを理由に承認を求める使節をギリシア各地に派遣して,それを了承する返答をアゴラの壁面に刻んだのであるが,そこにはシリアからシチリアに及ぶ100以上のコミュニティや王たちの名が連なっている。

ギリシア人が前8世紀半ばから約200年間に,スペインから黒海沿岸まで各地に移り住み,前4世紀にはギリシア人と称する人の4割が本土以外に居住していた。そこにネットワークを張り巡らせ,各地のギリシア人の情報を収集して大勢力の狭間でリスクマネージメントをしていた,ギリシア人のしたたかな姿が現れるのである。そこには縁起話まで遡って,神々や半神たちの系譜を自らの歴史としていた彼らの意識構造を見ることもできる。近年の研究では,ギリシア人はこれは方便として持ち出しているのではなく,事実として認識していたと考えられている。このようにアテネ,マケドニア,ローマを中心とした古代世界とは別の姿が,繋ぐ場としての地中海から見えてくるのではないであろうか。

表紙説明 地中海世界の〈道具〉9
伊藤 亜紀

男は,髪の長い女が好きだ。ショートヘアがいいなどというセリフは,ついぞ耳にしたことがない。その長い髪をかきあげたり,もてあそんだりする姿に,男というものは,たまらなく惹きつけられる(らしい)。

聖パウロ曰く,「髪を切ったりそったりするのが,女にとって恥ずべきことであるなら,おおいをかけるべきである」(「コリント人への第一の手紙」11: 6)。ましてやその髪を人前で梳くことは,男の欲情をかきたてる最も危険な仕種である。数多くのセイレーンの図像,有名なアンジェの黙示録のタペストリーにあらわされたバビロンの大淫婦が,手鏡を覗き込み,櫛を手にしているのは,そのためである。

そんな媚態を振りまく女たちのもつ櫛は,14~15世紀の図像の場合,かなり幅広い両歯のものであることが多い。もちにくくないのだろうか。しかしこのH型の形状は,中央に複雑な装飾をほどこしたり,宝石を埋め込んだりするのに都合がよい。素材は主に象牙,他に柘植などの木や高価な金属。教会で使われるものには,磔刑や「最後の晩餐」など,聖書の諸場面が精緻な細工によってあらわされている(聖職者は,たとえトンスラがあろうとも,神への奉仕にあたり,髪の手入れは欠かせない)。一方,ひとが身だしなみのために常に持ち歩く櫛は,恋人への贈物の定番である。ここに示した14世紀の象牙の櫛(ヴィクトリア&アルバート美術館所蔵)には,両側に太さの異なる歯がついており,中央には庭園で身体に触れあったり花冠を授けたりするなど,三様のポーズをとった男女が見てとれる。男が女に愛のメッセージを託すには,恰好の品である。

そして丸い鏡に顔を映しながら,両歯の櫛で髪を梳く女性は,ボッカッチョの『名婦伝(De mulieribus claris)』で語られている古代ローマの画家マルティアである(大英図書館所蔵,ms Royal 20 CV, 104r)。じつはボッカッチョは,プリニウスの『博物誌』第35巻の女流画家を論じた箇所に出てくるマルクス・ウァローの名を,マルティアという女性名と読み違えた上,これにキュジコスの画家イアイアのエピソードを結びつけてしまった。その「マルティア」は絵画と彫刻の技に長け,その作品は当時の男性画家たちのものよりも高値がつけられたという。そして己の顔を鏡に映し,巧みに自画像を描いた。15世紀初頭に『名婦伝』仏訳が完成して以降,各種つくられた写本挿絵のマルティアは,鏡に見入りつつ制作する姿であることがほとんどである。

ところがこの1405年頃につくられた写本の挿絵には,小机の上に彫刻制作のための槌や鑿らしきものが見えるが,肝心のマルティアは髪の手入れに余念がない。挿絵画家は鏡を見る女性ということから,虚飾と淫欲にまみれた悪女を連想したのだろうか,絵筆の代わりに櫛をもたせてしまった。この写本の15世紀半ばのコピーでは,よりはっきりとH型の櫛が確認できる(大英図書館所蔵,ms Royal 16 GV, 80r)。ボッカッチョはマルティアの画家としての功績よりも,彼女が生涯純潔を貫いたことを強調したが,挿絵画家にはそれさえも伝わらなかったらしい。勘違いに勘違いを上塗りした結果が,これである。

図像出典
櫛:Jen Cruse, The Comb: Its History and Development, Robert Hale Ltd, London, 2007, p.153.
写本挿絵:British Library

〈図書ニュース〉

池上 忠弘 『チョーサーと中世を眺めて──チョーサー研究会20周年記念論文集』麻生出版 2014年
澤井 繁男 『評伝 カンパネッラ』人文書院 2015年
陣内 秀信+法政大学陣内研究室編 『アンダルシアの都市と田園』鹿島出版会 2013年
高階 秀爾 『ミロのヴィーナスはなぜ傑作か──ギリシャ・ローマの神話と美術』小学館 2014年
本村 凌二 『世界史の叡智──勇気,寛容,先見性の51人に学ぶ』中央公論新社 2013年