写真で綴る地中海の旅 journey

2019.01.30

ミケーネ(ギリシャ)

地中海世界の〈城〉7:ミケーネ/佐藤 昇

「城」とは何か。簡便な砦の類も含めれば,時代と地域を問わず,そこかしこに見られる。しかし,さしあたり日本の名城に見られるような,君主・領主の居所と防衛拠点という2つの機能を兼ね備えた建築物としてみると,いつの時代にも必ずあるというわけにはいかない。例えば古代ギリシア世界を見回してみても,しっくりくるものはあまり見当たらない。

ミュケーナイ時代の宮殿群などはどうだろうか。写真(上)は,その代表格「ミケーネ遺跡」である(混乱を避けるため,時代・文明名はミュケーナイとし,古代都市及び遺跡名はミケーネとする)。ペロポネソス半島東部,アルゴス平野をのぞむ丘陵地に位置するこの遺跡が,現在認められるような防衛機能を整え始めたのは前14世紀後半のこと。平均2トンになるという巨大な石を積み重ねた城壁は,神話上の巨人キュクロープスにちなみ,キクロペス様式と呼ばれる。前13世紀半ばになると西側で大規模拡張工事が行われ,いわゆる円形墓域A(写真左下)が城壁内に取り込まれるとともに,印象的な獅子門(写真右下)が新たに設けられた。やがて前13世紀末にも,北東部で更なる拡張が行われることとなる。

支配者の居所に相当する宮殿部分は,この城壁の南側中央部に乗りかかるように建設されている。宮殿部東南端にあるほぼ正方形の部屋に,聖なる炉を備えたメガロン=王の座所があった。城壁の上にかかって建設されていることから,建設年代は城壁が建設されて以降のこと,すなわち前14世紀後半ということになるだろう。支配者の居所と立派な城壁=防衛機能が揃い,これなら「城」と言っても差し支えあるまい。

丘の上に聳えるミケーネ「城」に限らず,ミュケーナイの「城」はいずれも巨石を積み上げた城壁を備え,見る者に強い印象を与えたに相違ない。しかしミュケーナイ人が景観に与えたインパクトは「城」だけに留まらない。「城」からは道路が各地に伸び,川にはキクロペス様式の石橋が架けられ,馬に引かれた荷車もスムーズに通行できた。さらにミケーネからほど近く,ティリンス遺跡近郊には「ダム」が建設された。ティリンスの城砦に向かうはずだった流路を変えるための,堤防のような石造構築物である。これらもおよそ前13世紀に整備されたとされる。

こうした「城」を核とする建設事業が,ミュケーナイ文明理解に不可欠の要素であることは言を俟たない。しかし同じくミュケーナイ文明を代表する印象的なトロス墓などは,これより早くから発達していた。ミケーネに上述のような「城」が姿を見せる以前,すでに数百年にわたってミュケーナイ人たちは豊かな文明を生み出していた。現在知られているような「城」が景観や文化,社会の中核的役割を担ったのは,ミュケーナイ文明においても限られた時期のことだったのである。やがてミュケーナイ文明は「前1200年のカタストロフ」を迎え,こうした「城」もその歴史的役割を終えることとなる。

*地中海学会月報 403号より