写真で綴る地中海の旅 journey

2019.01.30

ベアトゥス黙示録写本(エルサレム)

地中海世界の〈城〉9:ベアトゥス黙示録写本のエルサレム/毛塚 実江子

挿絵は8世紀末の修道士ベアトゥスによるヨハネ黙示録註解を写した写本群,いわゆるベアトゥス写本の一例(ニューヨーク,ピアポント・モーガン図書館,MS644,ff.240-241)である。バビロンの王に攻め込まれるエルサレムが見開き2ページにわたって描かれている。

主題は「エルサレムの崩壊」であり,黙示録ではなく,ダニエル書註解に付されたものである。一部のベアトゥス写本には,黙示録註解に加え,ダニエル書とヒエロニムスによるダニエル書註解も収められている。ダニエル書註解が黙示録註解写本に取り入れられた経緯は不明であるが,この挿絵は現存する最古のダニエル書註解挿絵として知られる940年頃の作例である。ダニエル書はヨハネ黙示録に先立つ黙示文学であり,この「エルサレムの崩壊」挿絵は黙示録の「バビロンの崩壊とそれを嘆く王たち」と形式的に呼応し,その主題は「天上のエルサレム」と対を成している。

エルサレムは,厳密には城というより城壁に囲まれた都市であるが,左ページ(38×28cm)の3分の2を占める挿絵では,城壁と城門の正面部分のみが,一つの城塞のように大きく象徴的に描かれている。城門中央にはわずかに円弧を閉じた馬蹄形アーチ,両脇には一対の塔あるいは櫓が配され,その上部からは,矢や槍,投石などで防戦する人物らが描かれている。線描により簡略化されてはいるが,城の左右には控え壁のような構造体が,壁面には円形や壁龕状の装飾,胸壁に鋸状の装飾などが伺える。挿絵の左下,城壁の外側には,頬に手を当ててエルサレムの崩壊を嘆くエレミヤが座している。

見開き右のページ下部には,エルサレムに攻め入るバビロンの王ネブカドネツァルと,その騎馬軍隊,上部右には,玉座のネブカドネツァルと処刑されるユダの王ゼデキヤの息子たち,左に足枷をされ目を抉られるゼデキヤが描かれている。この場面はダニエル書ではなくエレミヤ書(39章)や列王記(24─25章)に由来する。ダニエル書に登場する同じネブカドネツァル王の話であるため採られたと考えられ,とくに城壁の傍らで嘆くエレミヤ,王や息子の処刑の描写は,960年の年記を持つ聖書写本のエレミヤ書場面にも類例が残る。そのため,この挿絵は,聖書写本と黙示録註解写本であるベアトゥス写本の接点を示す貴重な作例であるといえる。研究によれば,聖書写本と共通するダニエル書の挿絵サイクルには,城に迫る王の騎馬軍隊は含まれていない。騎馬隊は聖書写本の他の部分に散見されるが,新たにこの場面にも取り入れられたのである。それによって,城の上部から矢をつがえ槍を構える兵たちと攻防の視線が交錯し,ページをまたいで緊張感のある場面構成が作り出されている。

挿絵の作者は画期的かつダイナミックな挿絵世界を構築し,「大挿絵師」と呼ばれたマギウスである。この「エルサレムの崩壊」挿絵においても既存の図像を巧みに再構成する挿絵師の卓越した技量の一端が見てとれる。それとともに,城壁の下に敵が迫り来るというリアリティは,当時のイベリア半島南部,アンダルスとの前戦地域におかれた修道院の日常をも表しているのである。

*地中海学会月報 405号より