写真で綴る地中海の旅 journey

2019.01.30

タバルカ(チュニジア)

地中海の〈城〉14:ジェノヴァ人の城 亀長 洋子

中近世におけるジェノヴァ人の活動を追って、機会ある毎に各地のジェノヴァ人の足跡を訪ねてきた。これまで筆者が訪問した地としては、コルシカ、キオス、レスボス(写真上)、イスタンブル、シノップ(黒海沿岸部)、タバルカ(チュニジア沿岸部、写真下)、ジェノヴァの属するリグリアの諸都市、ブリュージュなどがあげられる。このうちブリュージュのように、現地のヨーロッパ勢力の支配構造が確固たる都市の場合には、ジェノヴァ人はそこで商業特権を与えられ、商館や集住地をもった守られた存在であった。それゆえ、ジェノヴァ人は同地で自身の軍事力を行使する必要はなかった。しかし、ジェノヴァ人が様々な経緯を経て自らの力でその支配権を獲得した地域は様相が異なる。支配を維持するために重要なのは防衛力である。それゆえ、地中海・エーゲ海・黒海の島々や沿岸部、またリグリア各地の拠点で、ジェノヴァ人は城塞・城砦をはりめぐらせることになる。

ジェノヴァ人が防衛力を発揮して守り続けた各拠点に関して、その支配に至る経緯や構造は実に様々である。コルシカは、12世紀頃からピサとその支配権に対する抗争を続けており、ジェノヴァの優位が定まった後もジェノヴァ政府派遣の役人、ジェノヴァ政府発行の居留地開拓権を保有する人々、ジェノヴァ政府の財政に多大な影響を与えていたサン・ジョルジョ銀行などジェノヴァ側の支配体制は変化が多く、彼らの統治は不安定な時期も長かった。タバルカは16世紀にカール5世がジェノヴァのロメッリーニ家の人物にアシエントの形で商業特権を与えた地で、近世を通じてジェノヴァ人の珊瑚交易などの拠点となった。シノップにはオスマン帝国による占領までジェノヴァ政府任命の領事が長らく派遣されていた。キオスはジェノヴァ人のザッカリア家の私的な占拠による支配の後、14世紀中頃ジェノヴァ政府により再占領されたが、その遠征時の出資者集団に起源をもつ権利(債券化されていく)を有する人々と政府による複合的統治体制をとる。レスボスは14世紀後半、ジェノヴァ人のガッティルーシオ家の人物がビザンツに軍事的貢献をした恩賞として獲得した土地であり、百年近くこの家はこの島を私的に支配した。支配の形は異なれど、そこには必死に防衛に尽力するジェノヴァ人の姿が窺える。

高台にそびえる城砦であれ長々と横に広がっていた城塞や城壁であれ、現存するものの多くはオスマン帝国など近世の現地支配者がその後に補強したものである。限りなく存在するジェノヴァ人滞在先の史跡訪問は筆者のライフワークと化している。次なる訪問目標は、世界遺産に認定されているパナマの歴史地区の史跡に属する、17世紀にパナマで奴隷交易に従事したジェノヴァ人家系の屋敷跡である。中近世ジェノヴァ人との体力勝負の研究生活は続く。

*地中海学会月報 410号より